ミヒャエル・コンセル(Michael KONSEL) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ミヒャエル・コンセル | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | オーストリア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ウィーン | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1962・3・6 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 185cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 78kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | GK | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1985・9・16 ユーゴスラヴィア戦 |
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代表背番号 | 1 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 90年 98年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 96オーストリア年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 84/85,86/87,94/95オーストリアカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
86/87,87/88,95/96オーストリアリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
84/85 ラピド・ウィーン | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
85/86 ラピド・ウィーン | 25 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
86/87 ラピド・ウィーン | 23 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 ラピド・ウィーン | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 ラピド・ウィーン | 32 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 ラピド・ウィーン | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 ラピド・ウィーン | 36 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 ラピド・ウィーン | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 ラピド・ウィーン | 36 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 ラピド・ウィーン | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 ラピド・ウィーン | 36 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ラピド・ウィーン 1 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ラピド・ウィーン 1 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ローマ(イタリア) 1 | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ローマ(イタリア) 1 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ヴェネツィア(イタリア) 1 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
上背はありませんが、高い基礎技術とコーチング、リーダーシップで長年R・ウィーンの正守護神としての地位を確立、ローマでも高パフォーマンスを披露したGKです。 フォルトゥナでキャリアをスタートさせたコンセルは、1983年に2部F・ウィーンへ移籍。チームが昇格した翌年9月14日LASK戦にてトップリ−グデビューを果たします。 しかし同シーズン中にライバルのR・ウィーンへ移ります。そして瞬く間にゴールを託され、クランクルら攻撃陣と共に国内リーグとカップを3度ずつ制覇、95/96シーズンには主将に就任し、この年の国内最優秀選手になります。また、カップウィナーズ杯では2度準優勝になりました(84/85シーズンは1−3でエヴァートンに、95/96シーズンはPSGに0−1で敗戦)。 97/98シーズンにローマへ引き抜かれ、8月31日エンポリ戦にてセリエAデビュー。同時に就任したゼーマン新監督の信頼を得て12位だったチームを4位に引き上げる原動力となり、ガゼッタ紙も絶賛するほどのパフォーマンスで、35歳にして健在ぶりをアピールしました。 99/00シーズン、ヴェネツィアでのプレーを最後にユニフォームを脱いでいます。 1985年9月16日ユーゴスラヴィアとのフレンドリーマッチで代表デビューします。1990年W杯ではメンバーに入ったものの出番に恵まれませんでした。 1998年W杯予選では正GKとして9試合に出て母国2大会ぶりの出場権を獲得。本大会ではグループリーグ3試合に出場しました。 代表記録 43試合 2017年7月29日:新規アップ |