今野 泰幸(Yasuyuki KONNO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 今野 泰幸(コンノ ヤスユキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 宮城県仙台市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1983・1・25 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 73kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2005・8・3 中国戦 |
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代表背番号 | 4 15 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 10年 14年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | コンちゃん | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 04,09,14ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
11AFCアジアカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
11,14,15天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
14Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
01 コンサドーレ札幌 26 | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 コンサドーレ札幌 4 | 22 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 コンサドーレ札幌(J2) 4 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
04 FC東京 6 | 26 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
05 FC東京 6 | 34 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
06 FC東京 6 | 28 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
07 FC東京 6 | 33 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
08 FC東京 6 | 32 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
09 FC東京 6 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
10 FC東京 6 | 34 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
11 FC東京(J2) 6 | 33 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12 ガンバ大阪 15 | 33 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13 ガンバ大阪(J2) 15 | 32 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
14 ガンバ大阪 15 | 33 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
15 ガンバ大阪 15 | 31 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16 ガンバ大阪 15 | 33 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
17 ガンバ大阪 15 | 24 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
18 ガンバ大阪 15 | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 ガンバ大阪 15 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 ジュビロ磐田 | |||||||||||||||||||||||||||||
持久力と位置取り、身体の入れ方や相手との間合いの取り方がうまく、ファールをとられずボールを奪います。本職のボランチのほか、最終ラインでも機能する守備の職人です。 東北高で国体出場を経験し、3年の時に高校選手権に出場。2ゴールを挙げて8強進出に貢献しました。札幌の練習に参加し、岡田監督に注目され卒業後に入団しました。 01シーズン、4月7日の1stステージ第4節ホームの東京V戦でJデビューを果たし、シーズン17試合に出場。高卒ルーキーとしてスタメンでプレーする機会も少なからずあり、プロのキャリアは上々の滑り出しでした。その後2シーズン札幌でプレーしました。 2004年よりFC東京でプレー。攻撃サッカーを標榜する原監督の下攻撃面でも進歩を見せ、5月5日1stステージ第8節アウェーの神戸戦でJ初ゴールを挙げました。本業の守備も三浦文や梶山、右サイドの石川など攻撃意識の強い選手が多い中、的確なカバーリングなど中盤の守備を一手に担い、ナビスコ杯ではリーグ屈指の攻撃陣を誇る浦和を無得点に抑える堅守を見せてPK戦の末勝利し、初タイトルを獲得します。05シーズンはチームで唯一リーグとカップの全試合に出場し、リーグの7ゴールはFWルーカスと並んでチーム最多で、特にC大阪の初優勝を阻止した同点ゴールは印象的でした。06シーズンもリーグ終盤のG大阪や川崎Fといった強豪相手にゴールを決める勝負強さが際立ち、チーム2位の5ゴールを記録しました。 07シーズンよりGK土肥の後を継いでキャプテンを務め、09シーズンはCBに転向して2度目のナビスコ杯獲得を果たします。10シーズンも全34試合で5ゴールの活躍実らず降格となりました。しかし他の主力と同様とどまり、33試合戦い1年でのJ1復帰に貢献、天皇杯決勝でゴールを挙げるなど優勝して重責を果たし、興味を示していたG大阪のオファーに応えます。 しかしJ1最多得点の攻撃陣に反して失点も多く降格を経験。守備陣の中核として責任は重く、チームに残ってJ2の長丁場と代表のハードな日程に挑みます。22節岐阜戦では1試合2ゴールを見せるなど4ゴールを挙げ、チームを1年でJ1に戻ります。その後ボランチに戻り遠藤の右腕として働き、大宮との両試合でゴールを決めるなどクラブ初の3冠に輝きました。 15シーズンは、チャンピオンシップで浦和と広島相手に3連発して優勝争いを大いに盛り上げましたが、連覇を逃しました。8試合に出たACLは準決勝で広州恒大に敗れました。17シーズンは甲府戦で起死回生となる同点弾を挙げました。 19シーズンの途中に磐田へ移籍しています。 2001年Wユースの候補に挙がりますが、ケガで出場を断念しました。しかし同年のアジアユースではキャプテンとしてチームを準優勝に導きました。2年後のWユースに5試合出場し、ベスト8に進出しました。アテネ五輪予選のアジア地区最終予選では6試合にフル出場して出場権を獲得。本大会でも全3試合フル出場と、チームに不可欠の存在でした。 2005年8月3日、東アジア選手権の中国戦でフル代表デビューを飾り、翌年のW杯予選にも1試合出場しますが、本大会には出場できませんでした。 W杯終了後オシム監督によって代表復帰を果たすと、2007年アジア杯カタール戦や2010年W杯予選ではDFとして8試合プレーします。大会前には右SBのレギュラーに抜擢されましたが、強化試合でタックルを受け負傷し、本大会は1試合に終わります。 2011年アジア杯ではザッケローニ監督から大きな信頼を受け、全6試合にフル出場。若い吉田をサポートし、最終ラインの大黒柱としてアジア杯奪還に大きく貢献しました。 2014年W杯予選はタジキスタンとのアウェー戦で初ゴールを挙げるなど13試合に出場。しかし2013年コンフェデ杯は強豪の前になすすべなく終わりました。その後台頭した森重にW杯初戦の先発を奪われるものの、逆転負けで2戦目以降は先発に戻ります。しかしコロンビア戦でPKを献上、一度は同点に追いつくものの相手の猛攻を止められませんでした。 2015年アジア杯は、初出場したイラク戦で負傷しました。2018年W杯予選のUAE戦ではゴールを挙げて、負傷した長谷部の穴を埋めました。 代表記録 2008年2月6日:新規アップ 2019年7月17日更新 |