駒野 友一(Yuichi KOMANO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 駒野 友一(コマノ ユウイチ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ![]() |
|||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 和歌山県海南市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1981・7・25 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 171cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 71kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(RSB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2005・8・3 中国戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 3 5 31 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 10年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | コマ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 13EAFF東アジアカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 12Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
00 サンフレッチェ広島 23 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01 サンフレッチェ広島 5 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02 サンフレッチェ広島 5 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03 サンフレッチェ広島(J2) 5 | 23 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 サンフレッチェ広島 5 | 18 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05 サンフレッチェ広島 5 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
06 サンフレッチェ広島 5 | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
07 サンフレッチェ広島 5 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
08 ジュビロ磐田 25 | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ジュビロ磐田 5 | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10 ジュビロ磐田 5 | 23 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11 ジュビロ磐田 5 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
12 ジュビロ磐田 5 | 34 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
13 ジュビロ磐田 5 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
14 ジュビロ磐田(J2) 5 | 35 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15 ジュビロ磐田(J2) 5 | 29 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
16 FC東京 50 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16 アビスパ福岡 24 | 12 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
17 アビスパ福岡(J2) 3 | 39 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
18 アビスパ福岡(J2) 3 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
19 FC今治(JFL) | |||||||||||||||||||||||||||||
正確で鋭いクロスで好機を演出するとともに、自らも正確で鋭いFKでゴールを狙います。両サイドでプレーできる柔軟性もあり、監督から重宝される選手です。 大野JFCからサッカーを始めます。地元中学のサッカー部を経て広島ユースに入り、2000年にトップに昇格しました。翌年から本格的に試合に出るようになり、3月31日ホームの札幌戦でJデビュー。2ヶ月後の5月19日ホームの東京V戦、40m超の距離からのボレーシュートがVゴールとなり鮮烈なJ初ゴールを挙げます。以降は主力としてプレーしますが、2003年に十字じん帯を損傷。さらにエコノミークラス症候群を患い戦線離脱を余儀なくされました。 05シーズンは34試合でFKから2点を取ります。第34節の清水戦では相手GKを弾き飛ばす威力のあるシュートでした。さらに持ち味であるクロスでチームトップの8アシストを記録しました。しかし代表戦もあり過密日程での疲労によりプレーの精度を欠いた時期もありました。2006年5月6日の福岡戦でも地を這うFKでゴールを挙げて勝利に貢献しました。 07シーズンのJ2降格に伴い、優勝争いができる環境を求めて磐田へ移籍します。チームはJ2の仙台と入れ替え戦を戦う意にそぐわない成績でしたが、チームで唯一全試合出場を果たします。09シーズンも全試合プレーしましたが、翌シーズンは10月の韓国代表との試合で右上腕骨幹部を骨折してシーズンが終わり、4年連続の全試合出場はなりませんでした。 11シーズンに再び全試合出場して評価を高めます。オフにはベルギーからオファーを受けましたが条件が折り合わず、キャリア初の海外移籍はなりませんでした。12シーズンは広島や柏といった上位陣からゴールを奪うなど存在感を示しました。 13シーズンはチームの状況が悪化して自身2度目の降格となります。2年目にJ1に復帰した後FC東京へ完全移籍しますが、出場機会に恵まれず福岡へレンタルされます。ここでは12試合に出ますが、チームは最下位に終わりました。 その後残留し、大分との開幕戦でゴールを挙げるなど同世代のMF山瀬と共にチームを昇格プレーオフ圏内に導きますが、決勝で名古屋に敗れました。 19シーズンに今治へ加入しています。 2001年Wユースで3試合、2004年アテネ五輪で2試合に出場。2004年の新潟でのチャリティマッチで召集され、ジーコジャパン・ドリームチームのメンバーとしてフル出場しました。翌年の東アジア選手権ではケガの三浦淳に代わり中国戦でフル代表デビューしました。 その後欧州遠征の2試合で先発出場。両サイドでプレーできることが評価され、2006年W杯本大会のメンバーに入りました。レギュラーの加地が親善試合のドイツ戦で負傷したので、グループリーグ初戦オーストラリア戦でスタメンフル出場を果たしました。 2006年W杯後、オシム、岡田両監督になってからも召集され、2010年W杯予選は6試合に出場、本大会ではパラグアイ戦でのPKは不運な結果となりましたが、予選の主力だった内田から右SBを奪い、全4試合にフル出場してベスト16になりました。 2014年W杯予選でも8試合に出場するなどザッケローニ監督からも呼ばれますが、2013年コンフェデ杯のメンバーから外れました。しかしその後の東アジア杯に招集されると、豊富な経験でチームをまとめて初優勝に貢献しました。 代表記録 2006年9月12日:新規アップ 2019年1月5日更新 |