ヨーナス・コルッカ(Joonas KOLKKA)
フルネーム ヨーナス・エイナリ・コルッカ
国籍 フィンランド  
出身地 ラハティ
生年月日 1974・9・28
身長 175cm
体重 71kg
利き足
ポジション FW(LWG)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1994・9・26
エストニア戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 95フィンランドカップ
99/00,00/01エールディヴィジ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91 レイパス
92 レイパス(2部)
93 レイパス(3部) 22 19
94 ミリコスケン・パロ 21 11
95 ミリコスケン・パロ 22
95/96 ウィレムU(オランダ)
96/97 ウィレムU(オランダ) 32
97/98 ウィレムU(オランダ) 29
98/99 PSV(オランダ) 11 19
99/00 PSV(オランダ) 11 32
00/01 PSV(オランダ) 11 27
01/02 パナシナイコス(ギリシャ) 11 23
02/03 パナシナイコス(ギリシャ) 11 22
03/04 ボルシアMG(ドイツ) 11 28
04/05 クリスタル・パレス(イングランド) 22 23
05/06 クリスタル・パレス(イングランド2部) 22
05/06 ADO(オランダ) 14 31
06/07 フェイエノールト(オランダ) 22 22
07/08 NAC(オランダ) 11 32
08/09 NAC(オランダ) 11 30
09/10 NAC(オランダ) 11 31
10/11 NAC(オランダ) 11 20
11/12 ウィレムU(オランダ2部) 14 13
12 テキサス・ダッチ・ライオンズ(アメリカ3部) 16 15
両サイドで機能する使い勝手のいい右利きのWGで、適宜カットインやクロスでチームの攻撃に厚みを加えるフィンランド代表屈指の選手です。

レイパスで育ち、16歳でプロのキャリアをスタートさせます。チームが2度も降格する苦境の中、3部で19点を挙げて1部ミパに引き抜かれます。
ここでも2年で17点を取って国外移籍を果たします。ウィレムでは2年目以降同胞のDFヒーピアと共にかなめとして活躍しました。PSVではファン・ニステルローイやニリス、ブルッヒンク、ケジュマンといったCFへ決定機を演出してオランダリーグ連覇を達成。チャンピオンズ・リーグは3年で15試合に出場するものの1点にとどまり、グループリーグ突破はなりませんでした。
パナシナイコスではヴラオヴィッチやオリサデベ、コンスタンティノーといったCFとのコンビネーションを築くと、10試合に出場したチャンピオンズ・リーグでもアーセナルやR・マドリー、バルセロナといった強豪と渡り合ってベスト8の成績を残しました。
ボルシアを経て04/05シーズンにC・パレスに入り、8月14日ノーリッジ戦でプレミアデビュー。いずれも敗れはしたものの、アンフィールドやオールド・トラフォードでネットを揺らしました。
05/06シーズン途中にADOへ移籍してE・エリアとのサイド攻撃で好成績を残します。その後フェイエノールトではウィレムやADO、NACでも2年目にPSVやフェイエノールト、4年目にウィレムと古巣へそれぞれ恩返しを果たしました。
NACではアモアーと攻撃を引っ張ります。2年目にはリーグ戦の6位から9位で争うプレーオフを制してヨーロッパリーグ出場権を得ましたが、ビジャレアルに本戦行きを阻まれました。
復帰したウィレムでは選手とフロントを兼任し、アメリカでもプレーして現役を終えました。

1994年9月26日エストニア戦での代表デビューをゴールで飾ります。1996年欧州選手権予選では1試合にとどまりましたが、2年後のW杯予選で4試合1得点の数字を残して以降不可欠の存在となります。2000年欧州選手権予選では7試合3得点、2002年W杯予選は6試合で1得点を挙げるなど序盤は点を取る役割を担いました。
その後はフォーセルやリトマネン、A・エレメンコ、クキの存在もありアシストに徹し、8試合に出た2004年欧州選手権予選、2試合にとどまった2006年W杯予選、13試合に出た同大会予選、2010年W杯予選はいずれも無得点となりました。
最終的に本大会とは無縁でしたが、100に迫るキャップ数を残しています。
代表記録 99試合12得点