北嶋 秀朗(Hideaki KITAJIMA)
フルネーム 北嶋 秀朗(キタジマ ヒデアキ)
国籍 日本  
出身地 千葉県習志野市
生年月日 1978・5・23
身長 182cm
体重 77kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2000・10・17
ウズベキスタン戦
代表背番号 27
W杯メンバー  
ニックネーム キタジ
個人タイトル  
チームタイトル 99ナビスコカップ
00AFCアジアカップ
11Jリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97 柏レイソル 25
98 柏レイソル 19
99 柏レイソル 9 17
00 柏レイソル 9 30 18
01 柏レイソル 9 28
02 柏レイソル 9 18
03 清水エスパルス 9 18
04 清水エスパルス 9 27
05 清水エスパルス 9
06 柏レイソル(J2) 19 24
07 柏レイソル 9 12
08 柏レイソル 9 12
09 柏レイソル 9 22
10 柏レイソル(J2) 9 17
11 柏レイソル 9 23
12 柏レイソル 9
12 ロアッソ熊本(J2) 39
13 ロアッソ熊本(J2) 39 24
強い執念でゴールへ向かいますが、それだけにとどまらずポストプレーや激しいコンタクトへの対応と献身的に身体を張ってサポーターからの支持を集める柏の象徴です。

小学1年よりサッカーを始め、中学を経て強豪市立船橋に入学します。高校選手権は3年連続出場を果たしました。1年次ではレギュラーではなくポジションもサイドアタッカーでしたが、それでも6試合6ゴールを挙げ、3年のDF茶野や鈴木和らと共に優勝しました。
3試合で4ゴールを挙げた2年次では東福岡にPKで敗れました。主将として臨んだ3度目の決勝では中村俊擁する桐光学園相手に先制点を決めます。これで大会中毎試合となる6試合連続ゴールとなり、通算15試合に出場して16ゴールと高校選手権の通算ゴール記録を更新して優秀選手に選ばれ、MF中村直と共に母校を2度目の優勝に導きました。
Jリーグ各クラブからのオファーが相次ぐ中、柏に入団します。1997年5月3日鹿島戦でJリーグデビューし、1998年4月15日京都戦で初ゴールをマークしました。3年目から徐々に出場機会が与えられ、3試合連続ゴールを挙げるなど17試合7ゴールと結果を残しました。ナビスコ杯でも準決勝でゴールを決めてクラブ初のタイトル獲得に貢献しました。
00シーズンにクラブOBの西野監督が就任します。韓国代表ファン・ソンホンと2トップを組み、3試合連続ゴールなど通算18ゴールを挙げます。チームは年間最多勝ち点を挙げましたが、2ndステージ最終節の優勝を争っていた鹿島戦でドローとなり初優勝を逃しました。
01シーズンも開幕戦でゴールを挙げて勝利に貢献したり、4月29日神戸戦でハットトリックを決めたりしたものの、MFユ・サンチョルのFW起用などで出場機会を減らしました。
03シーズンに出場機会を求め清水へレンタル移籍します。アン・ジョンファンと2トップを組むも2ゴールに終わります。翌シーズンに完全移籍となりますが、アラウーヂョとチョ・ジェジンのサブにとどまりました。05シーズンは度重なるケガでほとんどプレーできませんでした。
そして一度は袂を分かつ形になった柏からの要請を承諾し、4年ぶりに復帰します。若手の台頭やフランサの存在によりポジション争いは熾烈を極めますが、09シーズンは22試合で4ゴールを挙げ、J1通算200試合出場を達成します。しかしあえなくJ2降格となりました。
巻き返しを図る10シーズンに主将に指名されます。そして決してチャンスが多いとはいえない中、リーグ佳境に入る秋に4ゴールを挙げます。特にホーム岐阜戦でのゴールでチームのJ1復帰を決定づけました。12シーズンは浦和や広島相手の1試合2ゴールなど9ゴールでクラブ初のJリーグ制覇に貢献、ナビスコ杯や天皇杯でも1ゴールずつ挙げました。
しかし充実する攻撃陣にあって出番が限られ、翌シーズン途中に熊本へレンタル移籍。8試合で3ゴールを挙げて完全移籍となり、GK南やMF藤本主と共にチームをけん引します。そして24試合に出場するものの1度もネットを揺らせず、引退を決意しています。

U−22代表としてシドニー五輪予選に招集されますが、高原、柳沢、平瀬らライバルが多く本大会出場はなりませんでした。その後2000年10月17日アジア杯ウズベキスタン戦でフル代表デビューしてゴールを挙げると、次のカタール戦ではスタメンの座をつかんでいます。
代表記録 3試合1得点

余談
・高校選手権の記録は2003年大会で長崎・国見の平山が17ゴールで更新しています。
2008年2月22日:新規アップ 2014年1月9日更新