キ・ソンヨン(Sung-Yueng KI)
フルネーム キ・ソンヨン(奇誠庸)
国籍 韓国  
出身地 光州広域市
生年月日 1989・1・24
身長 188cm
体重 75kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2008・9・5
ヨルダン戦
代表背番号 16
W杯メンバー 10年 14年
18年
ニックネーム キラード
個人タイトル 08,09Kリーグベストイレブン
09アジア年間最優秀ユース選手(AFC)
11韓国年間最優秀選手(KFA)
チームタイトル 10/11スコットランドカップ
11/12スコットランドリーグ
12ロンドンオリンピック銅メダル
12/13イングランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
07 FCソウル 16
08 FCソウル 18
09 FCソウル 26
09/10 セルティック(スコットランド) 18 10
10/11 セルティック(スコットランド) 18 26
11/12 セルティック(スコットランド) 18 30
12/13 スウォンジー(イングランド) 24 29
13/14 スウォンジー(イングランド) 24
13/14 サンダーランド(イングランド) 4 27
14/15 スウォンジー(イングランド) 4 33
15/16 スウォンジー(イングランド) 4 28
16/17 スウォンジー(イングランド) 4 23
17/18 スウォンジー(イングランド) 4 25
18/19 ニューカッスル(イングランド) 4 18
19/20 ニューカッスル(イングランド) 4    
広い視野で戦況を把握し、効果的なパスとオーバーラップでチャンスを作ります。プレースキッカーも務め、そのスケールの大きさでパク・チソン引退後の韓国を背負うCMFです。
素質に疑いの余地はありませんが、しばしば物議を醸す面があります。

2001年、父親の意向によりオーストラリアでサッカー留学し、英語も身につけます。ここで5年間過ごし、Aリーグクラブのオファーを固辞してKリーグのFCソウルに入団します。
母国へ帰国すると、2002年W杯でトルコを3位に導いたセノール監督の下で多くの出場機会を獲得し、サイドのイ・チョンヨンと共にチームの攻撃をリードしました。また、ACLでも8試合に出場して鹿島との決勝トーナメント初戦でゴールを挙げ、ベスト8に進みました。
PSVやポルト、プレミア勢も興味を示してきましたが、09/10シーズン途中にセルティックと3年契約します。1月16日ファルカーク戦でリーグにデビューして10試合プレーします。
2年目は2010年8月22日S・ミレン戦で初ゴールを挙げます。ウェールズ代表J・レドリーやスコットランド代表S・ブラウンとポジションを争い、リーグではレンジャーズ戦で一矢を作り、12月27日S・ジョンストン戦では新加入の同胞チャ・ドゥリと共にゴールを挙げました。また、マザーウェルとのカップ決勝でも先制点を挙げて優勝に貢献し、マン・オブ・ザ・マッチになりました。
3年目もリーグの開幕ハイバーニアン戦など6ゴールでリーグを制し、ヨーロッパリーグでもウディネーゼ戦でゴールを挙げるなど、ケニア代表ワニャマの加入に発奮しました。
12/13シーズンにスウォンジーへ移籍し、9月1日サンダーランド戦でプレミアリーグにデビュー。デ・グズマンやミチュといったアタッカーの攻撃力を引き出しました。リーグ杯でも7試合に出場してクラブ初のタイトル獲得に立ち会いました。2年目が開幕した後にサンダーランドへレンタルされ、リーグ杯チェルシー戦で決勝ゴールを挙げます。リーグでもエヴァートン戦でのPKやリヴァプール戦での一矢、フルハム相手の1ゴール1アシストで存在感を示しました。
14/15シーズンにスウォンジーに戻り、マンチェスター・U戦で先制ゴールを挙げて勝利に貢献するなど、ゴミスやシグルドソンに引けを取らない成績を残しました。2年目は開幕から負傷し、サンダーランド戦でオウンゴールしますが、WBA戦で決勝点を挙げました。4年目はバーンリー戦で決勝点、ウェストハム戦で1ゴール1アシストしましたが、18位で降格しました。
18/19シーズンにニューカッスルへ移籍しています。

ユース代表時代はCBでのプレーを余儀なくされました。2007年U−20W杯と2008年北京五輪では3試合に出ますが、いずれも決勝トーナメント進出はなりませんでした。
フル代表デビューは9月5日ヨルダン戦。2010年W杯予選では8試合戦って北朝鮮とUAE相手にゴールを挙げます。本大会でも全4試合出場してベスト16になりました。
2011年アジア杯では6試合に出場。日本との準決勝ではパク・チソンが得たPKを決めますが、その後行ったパフォーマンスが議論を呼びました。試合もPK戦の末敗れました。
翌年のロンドン五輪に2度目のエントリーを果たすと、ク・ジャチョルやオーバーエージのパク・チュヨンと共に攻撃の中心として6試合に出場して銅メダルを獲得しました。
2014年W杯予選はMF最多の9試合に、本大会は3試合に出場。アルジェリア戦ではソン・フンミンのゴールを呼び込むものの及ばず、グループリーグで敗退しました。
シュティーリケ監督からキャプテンを託されて臨んだ2015年アジア杯は、6試合に出て決勝に進んだものの、オーストラリアの前に涙をのみました。
2018年W杯予選は15試合戦いカタール戦など4ゴールを挙げました。3連続出場となった本戦はスウェーデンとメキシコ相手に結果が出ず、ドイツ戦はベンチになりました。
2019年アジア杯は1試合に終わり、引退しました。
代表記録

余談
・そのスタイルによりアイドルのジェラードにちなみ「キラード」の愛称があります。
・ピルロやX・アロンソともスタイルが似ていると自ら述べています。
2015年12月15日:新規アップ 2019年6月30日更新