キム・ボギョン(Bo-Kyung KIM) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 金甫Q(キム・ボギョン) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 韓国 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 求礼郡 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1989・10・6 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 73kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2010・1・9 ザンビア戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 6 7 18 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 10年 14年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ピッボギョン | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 12ロンドンオリンピック銅メダル | ||||||||||||||||||||||||||||
16AFCチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
10 大分トリニータ(日本J2) 10 | 27 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
11 セレッソ大阪(日本) 16 | 26 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
12 セレッソ大阪(日本) 7 | 15 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 カーディフ(イングランド2部) 13 | 28 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 カーディフ(イングランド2部) 13 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 カーディフ(イングランド2部) 13 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 ウィガン(イングランド2部) 16 | 18 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
15 松本山雅(日本) 26 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16 全北現代 13 | 29 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
17 全北現代 13 | 15 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
17 柏レイソル(日本) 15 | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18 柏レイソル(日本) 15 | |||||||||||||||||||||||||||||
ゴールへの意識が強く、バランスの取れたフィジカルで相手の守備を突破して正確なシュートを放ちます。また、効果的なパスで主導権を呼び込む韓国代表のレフティです。 弘益大を中退してC大阪に入りますが、外国籍枠に空きがなかったため大分にレンタル移籍します。2010年3月7日柏戦でJリーグにデビューし、いきなりゴールを挙げました。 皇甫官監督やチェ・ジョンハンの存在もあってスムーズにチームに溶け込み、ベテランの高松や同年代の東といった面々と攻撃をリードして8ゴールをマークしました。 11シーズンにC大阪に復帰します。ここでも正GKキム・ジンヒョンのフォローもありレギュラーに定着。清武とのコンビで海外移籍した家長の穴を埋め、7月の3試合連続ゴールや大阪ダービー、最終節福岡戦など、播戸、倉田に次ぐ8ゴールをマークしました。 ACLでは8試合に出場。全北との準々決勝1stレグでPKを決めて勝利しますが、2ndレグで顔面を骨折してピッチを後にします。また、チームも6失点を喫する厳しい結果となりました。 2年目に乾が着けた背番号7を引き継ぎます。大宮や鹿島相手の1試合2ゴールなど高い決定力を見せました。この結果や五輪での活躍で清武に続き欧州への移籍を決めます。 銅メダルを獲ったグラウンドを本拠とするカーディフでは2部で2ゴール3アシストし、2013年8月17日ウェストハム戦でプレミアにデビューします。マンチェスター・U戦では終了間際に同点ゴールを挙げますが、それ以外は決定機はなく最下位になりました。14/15シーズンのウィガンではブラックプールとノーリッジ相手に連発しますが、退団しました。 松本を経て全北に移り、2016年4月10日浦項とのアウェー戦でKリーグデビュー。リターンマッチでは2ゴールを挙げるなど、イ・ドングクらとチームをけん引します。11試合に出たACLでもFC東京戦でゴールを挙げて優勝に貢献し、クラブW杯でも2連発しました。 17シーズンの途中に柏へ移籍しています。 ホン・ミョンボ監督に招集され、2009年のU−20W杯ではキャプテンのク・ジャチョルらと共に4試合プレー。アメリカ戦、パラグアイ戦と2試合連続ゴールを決めました。その後の準々決勝はサスペンションで出場できず、チームは優勝するガーナに敗れました。 2010年1月9日ザンビア戦でフル代表デビュー。メンバーに入ったW杯と翌年のアジア杯こそ出場機会がありませんでしたが、引退するパク・チソンから直々に後継指名を受けました。2012年五輪でも左足ボレーでスイスから勝ち越しゴールを挙げました。 2014年W杯予選ではレバノン相手に2ゴールし、本大会も2試合ピッチに立ちました。 代表記録 2017年10月2日:新規アップ 2017年12月19日更新 |