セバスティアン・ケール(Sebastian KEHL) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | セバスティアン・ウォルター・ケール | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ドイツ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ラールバッハ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1980・2・13 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 186cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 80kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2001・5・29 スロヴァキア戦 |
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代表背番号 | 5 15 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 02年 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 01/02,10/11,11/12ブンデスリーガ | ||||||||||||||||||||||||||||
11/12DFBカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ハノーファー(2部) 29 | 8 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ハノーファー(2部) 17 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 フライブルク 6 | 25 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 フライブルク 6 | 15 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ドルトムント 25 | 15 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ドルトムント 5 | 28 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ドルトムント 5 | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ドルトムント 5 | 32 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ドルトムント 5 | 29 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ドルトムント 5 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ドルトムント 5 | 14 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ドルトムント 5 | 28 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 ドルトムント 5 | 6 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 ドルトムント 5 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 ドルトムント 5 | 27 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ドルトムント 5 | 22 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ドルトムント 5 | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 ドルトムント 5 | 21 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
ケガに弱いものの、展開力や守備力、読みの鋭さにライン統率と戦術眼を備え、ベッケンバウアー、マテウス、ザマーの系譜を継いでいるといえる守備的MFです。 地元クラブで14歳からプレーし、18歳で2部のハノーファーへ。24試合に出場と実績を作ると多くの強豪からオファーを受け、フライブルクへ移籍しました。 00/01シーズンより1部で戦い、25試合2得点8アシストと若手育成に優れたフィンケ監督のもとで才能を発揮、チームの6位躍進に大きく貢献してベストイレブンに選ばれました。 01/02シーズン、かつて自身にオファーを送ってきたドルトムントへ移籍します。同じポジションのザマー監督にセンスを認められてレギュラーとなり、リーグ優勝を果たしました。 しかし財政難でチーム力が落ち、自らも28試合で5得点を挙げた08/09シーズン以外はケガで離脱する場面が多いのは否めませんが、その時から主将を任され、中盤で献身的に汚れ役に徹してクラブの象徴的な存在となります。そして10/11シーズンはパサーのシャヒンをバックアップし、9年ぶりのマイスターシャーレを獲得しました。翌シーズンは27試合3得点2アシスト、国内カップも6試合と復活を遂げてクラブ史上初の国内2冠達成に貢献しました。 14/15シーズンを最後に黄色いユニフォームを脱いでいます。 1997年のU-17世界選手権で6試合に出場し、タイ戦で得点を挙げました。そして2001年5月29日スロヴァキア戦でフル代表デビューを果たします。 2002年W杯予選は大敗したイングランド戦のみでしたが本大会メンバー入りを果たし、2試合に出場して準優勝となりました。2004年欧州選手権予選と本大会は満足な出場機会を得られないまま終わり、失望感を味わいました。クリンスマン監督就任後はしばらく招集されませんでしたが、2006年W杯ではメンバーに入って4試合に出場しています。 代表記録 31試合3得点 2007年9月27日:新規アップ 2015年8月1日更新 |