川島 永嗣(Eiji KAWASHIMA)
フルネーム 川島 永嗣(カワシマ エイジ)
国籍 日本
出身地
生年月日 1983・3・20
身長 185cm
体重 80kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2008・2・17
北朝鮮戦
代表背番号 1 21
W杯メンバー 10年 14年
18年
ニックネーム エイジ
個人タイトル 09Jリーグベストイレブン
09Jリーグフェアプレー個人賞
チームタイトル 11AFCアジアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01 大宮アルディージャ(J2)
02 大宮アルディージャ(J2) 22
03 大宮アルディージャ(J2) 21 33
04 名古屋グランパス 22
05 名古屋グランパス 22
06 名古屋グランパス 22 10
07 川崎フロンターレ 21 34
08 川崎フロンターレ 1 34
09 川崎フロンターレ 1 34
10 川崎フロンターレ 1 11
10/11 リールセ(ベルギー) 1 23
11/12 リールセ(ベルギー) 1 36
12/13 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 1 39
13/14 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 1 37
14/15 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 1 11
15/16 ダンディー・ユナイテッド(スコットランド) 1 16
16/17 メッツ(フランス) 16
17/18 メッツ(フランス) 16 29
18/19 ストラスブール(フランス) 16
19/20 ストラスブール(フランス) 16    
鋭い反応、飛び出し、キャッチング、足元、フィードといった確かな技術に加え、血気盛んなコーチングなど統率力にも優れており、クラブ代表共にチーム浮沈のカギを握る守護神です。

小学2年でサッカーを始めた当時からGKとしてプレー。与野西中時代は埼玉県選抜チームのメンバーに選ばれました。浦和東高時代に県内の浦和と大宮両クラブの練習に参加し、後者からオファーを受けて入団します。その後セリエAパルマの練習に参加して世界最高峰の環境を肌で味わう貴重な経験を積み、最終的には獲得オファーをもらうほどの成果を残したのです。
プロ1年目こそ不動の正GK白井の前にリーグ戦での出場はありませんでしたが、2年目に彼が一線を退くとチャンスがめぐり、2002年4月6日大分戦でJリーグにデビューしました。
03シーズンに正GKとなり、33試合大宮のゴールを守ります。この安定感にWユースでの活躍もあり、いくつものJ1クラブから獲得を打診されますが、その中であえて日本代表GK楢崎が在籍する名古屋を選びます。実力と経験を兼ね備えた彼の前には成長過程の自身に試合出場の機会が巡ることは稀でしたが、06シーズンには10試合の出場機会を得ました。
07シーズンに川崎に移籍します。名古屋で高質な下積み期間を経たこともあり瞬く間に定位置を確保、以降その座を不動のものにしてタイトル争いの原動力となります。10シーズンはアジアチャンピオンズ・リーグにも出場しましたが、6失点を喫しグループリーグで敗退しました。
2010年W杯の活躍により、日本人GKとして川口以来2人目の海外移籍を果たします。7月31日S・トルイデン戦でのベルギーリーグデビュー以来全試合ゴールマウスを守りますが、S・リエージュやアンデルレヒトといった強豪に5点以上献上。2年目には相手サポーターからのヤジに心を痛める場面もあり心技に渡り世界の厳しさに直面しますが、持ち前の闘争心と語学力で多国籍のチームをまとめるキャプテンを任され、自己最多の36試合に出場しました。
12/13シーズンにS・リエージュへ移籍し、4年間トルコ代表シナンからポジションを奪って正守護神になります。しかし3年目にその座から陥落して退団しました。
15/16シーズンの途中にダンディー・Uに入り、1月2日ダンディー戦でスコットランドリーグにデビュー。正守護神となりますが、終盤の4連敗もあり降格しました。
翌シーズンにフランスのメッツへ移籍。長らく出番がなく苦しんだものの、出場した5試合を2勝1分2敗と五分の成績を残し、1部残留に成功しました。2年目は29試合と持ち直しますが、チームは最下位に終わって降格しました。
18/19シーズンにフリーでストラスブールへ移籍し、第3GKになりました。

2003年Wユースでは5試合日本のゴールを守ってベスト8進出に貢献しました。やがて川崎Fでのプレーで注目を集め、2007年よりフル代表に招集されます。
2008年2月17日北朝鮮戦でデビューすると、翌年から親善試合とはいえ4試合連続完封を披露し、2010年W杯メンバーにも選ばれます。当初は控えでしたが、強化試合イングランド戦に先発すると、この試合での好パフォーマンスにより本大会で正GKとなります。そして全4試合日本のゴールを守り、ベスト16入りに貢献しています。
2011年アジア杯も正GKでしたが、1戦目をドローで終え、2戦目で一発退場となります。しかし復帰後は韓国戦でPKを2本止め、決勝でも相手の猛攻をしのぎ面目躍如となりました。
2014年W杯予選は13試合で7失点、最終予選で5失点と苦しみながらも出場権を獲得。その後のコンフェデ杯では世界に力の差を見せられ3試合で8失点を喫しました。W杯本大会ではコートジボワール戦で立て続けに失点して逆転負けを喫しました。ギリシャとはスコアレスドローでしたが、コロンビア戦はハメスの個人技に屈しました。大会終了後のアギーレ監督からも正守護神を託され、2015年アジア杯に4試合出場しました。
ハリルホジッチ監督の下で臨んだ2018年W杯予選は6試合だけでしたが、西野監督により3度目の出場を果たします。コロンビア戦、セネガル戦と不安定さを露呈しますが、監督からの信頼にポーランド戦で応え、全4試合にフル出場して2度目のベスト16になりました。
代表記録

※:埼玉県さいたま市

余談
・語学力に長け、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語を操ります。また、選手の語学習得に啓発的で、書籍も出版しています。
2010年6月29日:新規アップ 2019年6月7日更新