川淵 三郎(Saburo KAWABUCHI)
フルネーム 川淵 三郎(カワブチ サブロウ)
国籍 日本  
出身地 大阪府高石市
生年月日 1936・12・13
身長 172cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1958・12・28
マラヤ戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム キャプテン
槍の川淵
個人タイトル 67日本サッカーリーグアシスト王(9アシスト)
チームタイトル 61,63全日本実業団選手権
61天皇杯
所属クラブおよび背番号 出場 得点
65 古河電工(JSL1部) 14
66 古河電工(JSL1部) 14
67 古河電工(JSL1部) 14
68 古河電工(JSL1部) 14
69 古河電工(JSL1部) 12
70 古河電工(JSL1部)
スピードがあり、「槍の川淵」と例えられるSTです。小柄ですが身体能力が高いので、ジャンプ力もあり、自身より高い選手にヘディングで競り勝つこともあります。

大阪生まれ。小学生の時は演劇に熱中し、野球もしていました。三国丘高に進むとサッカー部からの勧誘に応じて入部し、本格的な練習を始めます。比較的遅いスタートでしたが、運動神経がよかったため順調に上達していったのです。
一度公立の大学に落ちますが、二浪の後早大に入学。1961年に大学の先輩である日本代表MF八重樫から誘われ古河電工(現千葉)に入社します。FW長沼健やDF平木隆三らと共に天皇杯と日本リーグの前身である全日本実業団選手権のタイトルを獲得しました。
1965年より日本リーグが開幕します。東洋工業(現広島)が黄金時代を迎えていたため優勝には手が届きませんでしたが、67シーズンはチームのエース木村武夫のゴールをお膳立てし得点王に導くと共に、自身もアシスト王に輝きました。その後72シーズンまでプレーし、33歳の時にヒザのじん帯を断裂したため現役を引退しました。
引き続き古河電工に勤め、サッカー部の監督に就任します。ロス五輪強化本部長に就任した矢先、渡辺正監督がクモ膜下出血で倒れ辞任したため、1980年11月から翌年3月までの5ヶ月間、日本代表を率います。3勝2分5敗(Aマッチのみ)でしたが世代交代を進めました。
その後は日本サッカーのプロ化に尽力し、Jリーグの初代チェアマンや日本サッカー協会会長など要職を歴任。「キャプテン」の愛称でおなじみの存在となっています。
JSL 68試合10得点

早大に在学していた1958年12月28日、マラヤ戦にてフル代表デビュー。2試合目の1959年1月4日マラヤ戦での初ゴールを含め、3試合連続ゴールを達成しました。
コーチに就任したデッドマール・クラマーの練習に体が悲鳴をあげることもありましたが、瞬く間に代表に定着し、ローマ五輪予選や1962年W杯予選を戦いました(韓国戦の1試合)。同年のアジア大会にも出場しますが、グループリーグ敗退となりました。
西ドイツやソ連など強豪との試合を経て、東京五輪に出場。1964年10月14日のアルゼンチン戦でヘディングシュートを決めて勝利に貢献。3試合プレーしベスト8進出を果たしています。
代表記録 26試合8得点
2007年5月15日:新規アップ 2012年2月26日更新

80日本代表(1982W杯予選)
  長谷川治久  
横山正文 木村和司
戸塚哲也 金田喜稔
  風間八宏  
都並敏史 須藤茂光
前田秀樹 菅又哲男
  鈴木康仁