加藤 望(Nozomu KATO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 加藤 望(カトウ ノゾム) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 宮城県 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1969・10・7 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 62kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ノゾ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 99ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
92 柏レイソル(JFL) | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
93 柏レイソル(JFL) | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94 柏レイソル(JFL) | 26 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
95 柏レイソル | 46 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
96 柏レイソル | 27 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
97 柏レイソル 11 | 32 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
98 柏レイソル 11 | 34 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
99 柏レイソル 11 | 30 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
00 柏レイソル 11 | 29 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
01 柏レイソル 11 | 22 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
02 柏レイソル 11 | 18 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
03 柏レイソル 11 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 柏レイソル 11 | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05 湘南ベルマーレ(J2) 24 | 41 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
06 湘南ベルマーレ(J2) 24 | 42 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
07 湘南ベルマーレ(J2) 24 | 47 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
08 湘南ベルマーレ(J2) 24 | 40 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
体力、気力ともに充実し、攻撃的なポジションを幅広く務めるMF。正確な技術に裏付けされたドリブルや鋭いFK、前線からの執拗なプレス、チェイシングと攻守にわたりチームを支えます。 39歳での引退まで高いパフォーマンスを維持し続けたプロの鑑です。 体育教師の父親を持ち、幼少時から野球に熱中、サッカーは興味の対象ではありませんでした。しかし小学5年の時に友達の誘いを受けて地元の少年団に入部します。東北学院中、高を経て東海大に進むと、MF礒貝、山口、澤登、田坂といった後の日本代表選手と共に、1990年大学選手権や1991年総理大臣杯など多くのタイトルを獲得しました。 大学4年時に多くのオファーを受け日立(現柏)に入団。3シーズンJFLで過ごし、94シーズンには攻撃センスが開花、元ブラジル代表FWカレカらと共にJリーグ昇格に貢献しました。 1995年3月18日清水戦でJデビューし、第6節名古屋戦で初ゴールをマーク。2年目にはブラジル代表FWエヂウソンを背後から支えると共に、チーム2位タイの8ゴールで年間順位を5位に引き上げます。98シーズンはブルガリア代表FWストイチコフと並ぶチーム2位タイの8ゴール、ナビスコ杯では予選リーグで敗退するも4試合で6ゴールと好成績を残しました。 99シーズンにはナビスコ杯を制してクラブに初タイトルをもたらすと、リーグ戦でもチーム2位の9ゴールを挙げるなど、北嶋や玉田といった若手FWの見本となりました。この間もJリーグ連続試合出場は続き、歴代2位の131試合にまで伸ばしました。 00シーズンは後期最終節の鹿島戦では勝てば初のリーグ優勝でしたが、相手の守備の前にスコアレスドローに終わり、年間最多勝ち点を挙げながら優勝を逃しました。この年を境に出場機会が減少し、04シーズンをもってプロ入り以来親しんだ黄色いユニフォームを脱ぎました。 トライアウトに合格し、05シーズンにJ2湘南に入団。共にJリーグ昇格を味わった元同僚で、クラブの強化部長を務める大倉智氏の存在も大きく、すぐに中盤右サイドの定位置を確保すると、30後半にも関わらず長丁場のJ2で毎年40試合以上出場、07シーズンにはキャリア初の2ケタゴールを挙げる驚異的な活躍を見せ、若手が揃うチームの活力剤になりました。 08シーズンを最後に現役を引退。そのままチームに残ってコーチに就任しています。 JFL:33試合6得点 J1:255試合46得点 J2:170試合30得点 2011年10月7日:新規アップ 2012年2月26日更新 |