片野坂 知宏(Tomohiro KATANOSAKA)
フルネーム 片野坂 知宏(カタノサカ トモヒロ)
国籍 日本  
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 1971・4・18
身長 172cm
体重 70kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー  
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 94ファーストステージ
99ナビスコカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91/92 マツダ(JSL) 20
92 サンフレッチェ広島    
93 サンフレッチェ広島 35
94 サンフレッチェ広島 34
95 サンフレッチェ広島
95 柏レイソル 11
96 柏レイソル 25
97 柏レイソル 18 25
98 柏レイソル 18 27
99 柏レイソル 18 15
00 大分トリニータ(J2) 18
00 ガンバ大阪 7
01 ガンバ大阪 7 10
02 ベガルタ仙台 5 15
03 大分トリニータ 4
利き足は右ですが、スピードと左足のクロスに定評があるため、人材難が叫ばれていた左SBとして活躍しました。

小学3年からサッカーを始め、鹿児島市立和田中に進学します。一度は大学進学を志しサッカーを止めようとしたこともありましたが、重要な戦力だったため許されませんでした。
やがて監督の説得により翻意し、鹿児島実業に進学します。国内屈指の強さを誇る同校の練習は想像を絶するハードなものでしたが、それを耐えぬき1989年の国体に出場すると、高校選手権でもベスト8進出を果たしました。
マツダ(現広島)に入団すると、高卒ながら20試合と即戦力級の活躍を見せ、92シーズンのナビスコ杯でも全試合に出場するなどチームに不可欠な存在になり、1993年5月16日のJリーグ開幕市原(現千葉)戦にもスタメン出場、13節横浜F戦で初ゴールを挙げました。翌シーズンも30試合以上出場、右の森山とのサイド攻撃で1stステージ優勝に貢献しました。
しかし、その後に就任したヤンセン監督が若手の路木を起用するようになってから出場機会が減少、シーズン途中で柏へ移籍します。チームに左SBが務まる選手がいなかったため瞬く間にレギュラーとして活躍します。99シーズンにはチーム初タイトルとなるナビスコ杯を獲得しましたが、チームの3バック変更と平山智の台頭が重なったため出場機会が減少し、シーズン限りで退団。その後は大分、G大阪、仙台を渡り歩き、03シーズンを最後に引退しました。
その後は指導者に転身し、若手の発掘や育成に携わっています。
代表記録
2008年12月31日:新規アップ 2012年2月26日更新