柏木 陽介(Yosuke KASHIWAGI)
フルネーム 柏木 陽介(カシワギ ヨウスケ)
国籍 日本  
出身地 兵庫県神戸市
生年月日 1987・12・15
身長 174cm
体重 67kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2010・1・6
イエメン戦
代表背番号 16
W杯メンバー  
ニックネーム ヨウスケ
個人タイトル 15,16Jリーグ優秀選手賞
16Jリーグベストイレブン
17AFCチャンピオンズ・リーグ最優秀選手
チームタイトル 11AFCアジアカップ
15ファーストステージ
16セカンドステージ
16ルヴァンカップ
17AFCチャンピオンズ・リーグ
18天皇杯
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05 サンフレッチェ広島(ユース登録) 35
06 サンフレッチェ広島 27 17
07 サンフレッチェ広島 27 31
08 サンフレッチェ広島(J2) 10 31
09 サンフレッチェ広島 10 33
10 浦和レッズ 8 34
11 浦和レッズ 8 31
12 浦和レッズ 8 30
13 浦和レッズ 8 34
14 浦和レッズ 8 33
15 浦和レッズ 8 33
16 浦和レッズ 10 33
17 浦和レッズ 10 27
18 浦和レッズ 10 30
19 浦和レッズ 10    
独特なボールタッチやドリブル、左足での正確なパスやFKで決定機を作る攻撃もさることながら、ハードなプレッシング、ボール奪取と守備も率先してこなします。

幼稚園時代からボールに親しみ、小学1年で地元神戸市のクラブに入ります。3年後に御津町に引っ越し、ほぼ毎日の練習を欠かさず参加してサッカー漬けの日々を送りました。自らのスタイルとチームの戦術が一致して才能を伸ばし、中学時代は兵庫県のトレセンに選ばれました。
卒業後に広島ユースのセレクションを受け、MF田中亜やDF森重と共に合格しました。そして元日本代表DFの森山監督によりボランチにコンバートされ、主力に成長しました。高校2年時の2004年高円宮杯で優勝に貢献し、2005年にはナビスコ杯で1試合プレーしました。
2006年にトップチームへ昇格して7月22日千葉戦でJデビュー、8月23日G大阪戦で初得点を挙げます。攻守に献身的な動きを見せてペトロヴィッチ監督から信頼され、レギュラーに定着。森崎浩と共にチームの攻撃をリードしますが、J2降格となりました。
08シーズンから背番号10を任され、文字通りチームの命運を担う存在となります。佐藤寿や高萩といった得点源に好機を演出して1年でJ1復帰を果たしました。
翌シーズンは横浜FMとの開幕戦で得点を挙げ、ホームでのリターンマッチで2得点を挙げるなどチームを4位に導きました。ナビスコ杯でも2試合で3得点を挙げました。
10シーズンに浦和に移籍。エジミウソンや原口といったアタッカーへアシストし、自らもさいたまダービーで決勝点を挙げました。3年目はペトロヴィッチ監督の就任や梅崎の活躍、自らも川崎と名古屋相手に連発してACL出場権を得ました。4年目は開幕戦で古巣広島に恩返しすると、柏戦では2試合で2得点ずつ挙げ、リーグ最多の11アシストをマークしました。
背番号10となった7年目はさいたまダービーの両試合で得点を挙げます。槙野、森脇、西川と旧知の守備陣と、興梠や武藤雄、李忠成、ズラタンら攻撃陣の間で阿部と共にチームを機能させ、シーズン途中からルヴァンと名称が変更したリーグ杯の王者になりました。
8年目のリーグは神戸戦で1試合2得点、甲府戦で決勝点を挙げました。ACLでは川崎との準々決勝2ndレグで2アシスト、準決勝上海上港戦1stレグで同点弾、2ndレグで決勝アシストしてクラブ10年ぶりのアジア制覇に大きく貢献し、最優秀選手に選ばれました。
18シーズンは、5試合出場した天皇杯のタイトルを手にしました。

U−17から代表に定着すると、アジアユース選手権で3得点4アシストでU−20W杯出場に貢献。翌年の本戦でも4試合プレーしてグループリーグを突破しました。
ユース代表では主軸でしたが、フル代表デビューは翌年のアジア杯予選となる2010年1月6日イエメン戦まで待ち、優勝した本大会も1試合の出場にとどまりました。
2018年W杯予選は4試合に出場しています。
代表記録

2018年9月3日:新規アップ 2018年12月21日更新