アリ・カリミ(Ali KARIMI)
フルネーム アリ・モハメド・カリミ・バシャキ
国籍 イラン
出身地 テヘラン
生年月日 1978・11・8
身長 178cm
体重 79kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1998・10・13
クウェート戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム
個人タイトル 04アジア年間最優秀選手(AFC)
04AFCアジアカップ得点王(5得点)
チームタイトル 98/99,99/00イランリーグ
98/99,13/14イランカップ
98,02アジア大会
03/04UAEカップ
05/06ブンデスリーガ
05/06,10/11DFBカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98/99 ピルジ・テヘラン 12
99/00 ピルジ・テヘラン 26
00/01 ピルジ・テヘラン 22
01/02 アル・アリ(UAE) 14
02/03 アル・アリ(UAE) 13
03/04 アル・アリ(UAE) 16 27
04/05 アル・アリ(UAE) 10
05/06 バイエルン(ドイツ) 8 20
06/07 バイエルン(ドイツ) 8 13
07/08 カタール・スポーツクラブ(カタール) 27
08/09 ピルズィ 21
09/10 スティール・アジン 28 14
10/11 スティール・アジン 12
10/11 シャルケ(ドイツ) 10
11/12 ペルセポリス 28 12
12/13 ペルセポリス 12
13/14 トラークトゥール 24
卓越した技術やすさまじい速さのドリブル、創造性あふれるプレーで相手を幻惑し、ポジショニングやセットプレーでのヘディングと得点力も備えるアジア屈指の攻撃的MFです。

首都テヘラン生まれ。1998年から2部リーグのファスでキャリアがスタートします。ストリートが練習場所で、ビニールあるいはプラスチック製のボールを追いかけていました。
アジア大会の活躍が評価され、地元テヘランのクラブに入団してプロデビュー。リーグとカップの2冠を達成すると、翌シーズンはリーグ連覇を成し遂げました。
イタリアやスペインのクラブからオファーが来ましたが、母国の近くでプレーすることを望み、UAEのアル・アリに移籍します。そしてすぐにチームになじみ、03/04シーズンには久々の国内カップをもたらして最優秀選手候補にノミネートされました。
05/06シーズンにダエイやハシェミアンも所属したバイエルンに移籍します。開幕2試合目の8月5日レヴァークーゼン戦でスタメンに名を連ねブンデスリーガデビュー、マカーイの得点を演出してアシストして懐疑論を吹き飛ばすと、チャンピオンズ・リーグのR・ウィーン戦では初出場初得点をマークします。中盤に世界屈指の陣容がそろったチームでレギュラーを獲ったかに見えましたが、ヒザのケガにより20試合の出場に終わりました。06/07シーズンは監督交代ななどチームが低迷、13試合の出場にとどまり、契約満了に伴いカタールへ移籍しました。
08/09シーズン以降は母国でプレー。2年目に28試合14得点と結果を残して10/11シーズン途中にシャルケに移籍し、国内リーグとチャンピオンズ・リーグに1試合ずつ出場しました。
その後再び母国で戦い、13/14シーズンにカップ戦を制して引退しました。

1998年10月13日クウェート戦で代表デビュー。以降レギュラーとして活躍してアジア大会を制しました。2002年W杯予選は12試合出場、アイルランドとのプレーオフでは幾度も訪れた決定機を逃し本大会出場はなりませんでした。
その後のアジア大会を連覇し、2004年アジア杯では準々決勝で韓国相手にハットトリックを決めるなど大会通算5得点で得点王となりチームを3位に導きました。この活躍が評価されアジジ、ダエイ、マハダヴィキアに続くイラン人4人目のアジア最優秀選手に選ばれたのです。
2006年W杯予選は11試合出場。無得点でしたが相手に脅威を与え2大会ぶりの出場を決めました。本大会ではグループステージ2試合を戦いました。
2010年W杯予選は5試合出場。韓国戦では、大統領選で敗れた改革派を象徴する緑色のリストバンドを身につけてプレーしたため、マハダヴィキア、ハシェミアンらと共に代表から永久追放されました。しかし2014年W杯予選で代表復帰、初戦のモルディヴ戦で得点を決めますが、終盤は招集されず本大会メンバーからも落選しています。
代表記録 125試合39得点

※:テヘランの魔術師
2007年8月27日:新規アップ 2015年6月13日更新