フルネーム ギオルゴス・カラグーニス
国籍 ギリシャ
出身地 ピルゴス
生年月日 1977・3・6
身長 176cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1999・8・20
エルサルバドル戦
代表背番号 10 20
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 04UEFA欧州選手権
04/05コッパ・イタリア
09/10ギリシャリーグ
09/10ギリシャカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96/97 アポロン・スミルニス 31
97/98 アポロン・スミルニス 24
98/99 パナシナイコス 26 24
99/00 パナシナイコス 26 27
00/01 パナシナイコス 26 23
01/02 パナシナイコス 26 21
02/03 パナシナイコス 26 23
03/04 インテル(イタリア) 21
04/05 インテル(イタリア) 21 11
05/06 ベンフィカ(ポルトガル) 10 19
06/07 ベンフィカ(ポルトガル) 10 26
07/08 パナシナイコス 21 27
08/09 パナシナイコス 21 18
09/10 パナシナイコス 26 24
10/11 パナシナイコス 26 22
11/12 パナシナイコス 26 19
12/13 フルハム(イングランド) 14 25
13/14 フルハム(イングランド) 14 14
中央からパスを散らし、自らもドリブルで仕掛けます。プレースキッカーを務める高い技術の持ち主である一方、粘り強いマークやカバーリングなど献身的に動ける中盤の心臓です。

1995年にパナシナイコスに入団するものの出場機会はなく、3部アポロンにレンタルされます。ここで才能が花開き、2シーズンで55試合9ゴールを挙げました。98/99シーズンにパナシナイコスへ復帰し、クロアチア代表アサノヴィッチなどと中盤を構成します。2年目はチーム2位タイの9ゴールをマークするなどポーランド代表ワルジーチャのスキルも会得します。しかし宿敵オリンピアコスが黄金期を築いていたため、タイトルには結び付きませんでした。
しかし00/01シーズンのチャンピオンズ・リーグでは、2次リーグのマンチェスター・U戦でFKを決めるなど12試合に出場。翌シーズンも同大会1次リーグの本拠アーセナル戦で決勝ゴールを挙げてベスト8に進出。02/03シーズンはUEFA杯で6試合戦いベスト8になりました。
03/04シーズン、インテル史上グリゴリス・ゲオルガトス以来2人目のギリシャ人プレーヤーとなり、10月26日ローマ戦でセリエAにデビュー。しかし分厚い選手層の前にレギュラー獲得には至らず2年で11試合の出場にとどまり、失意のうちにイタリアを後にします。
その後ベンフィカに入団。背番号10と大きな期待を背負い、2006年9月17日ナシオナル戦でリーグデビュー。チャンピオンズ・リーグでは05/06シーズンに7試合、06/07シーズンに3試合出場。後者では同胞カツラニスとのコンビで中盤を支配、ミッコリ、シモン、N・ゴメスの前線を操り、UEFA杯では6試合に出場して準々決勝進出を果たしました。
07/08シーズンに5年ぶりにパナシナイコスへ復帰。キャプテンを任され、FWサルピンギディスやオーストリア代表イヴァンシュイッツといった前線のタレントを後方からバックアップします。2年目は国内リーグこそ18試合に終わりましたが、終盤で2試合連続ゴールを決め、UEFA杯では6試合プレー。アーセナルから加入したG・シルヴァと共に中盤のかなめとなります。翌シーズンはチャンピオンズ・リーグで7試合3ゴールの数字を残してベスト16に進出し、国内リーグでも終盤に4試合連続ゴールを見せました。復帰3年目の09/10シーズンから再びカツラニスとコンビを形成、新加入D・シセの爆発もあって国内2冠を達成しました。
11/12シーズンでクラブとの契約が終わり、フルハムへフリーで移籍します。9月29日マンチェスター・C戦でプレミアにデビューし、ウィガン戦で初ゴールをマーク。1年目は精力的な動きを見せますが、2年目は14試合にとどまり降格し、引退しました。

1998年のU−21欧州選手権ではキャプテンとしてチームを引っ張り、準優勝になりました。翌1999年8月20日エルサルバドル戦にてフル代表デビューします。
2002年W杯予選は7試合に出場、レーハーゲル監督就任後のフィンランド戦では5−1で大勝しましたが、イングランドと引き分け本戦出場権を逸しました。
2004年欧州選手権予選で6試合、本大会では4試合出場。開幕ポルトガル戦でインターセプトからミドルを決め(ギリシャ代表の通算600点目)勝利に貢献します。ポルトガルとの再戦となった決勝はサスペンションで出場を逃したものの、アウトサイダーとして欧州を制しました。
2006年W杯予選は11試合出場も本大会出場はなりませんでした。2008年欧州選手権予選は全12試合でノーゴールでしたが出場権を獲得。本戦は3連敗に終わりました。
2010年W杯予選では10試合、本戦でも全3試合プレー。2012年欧州選手権予選ではベンフィカで師事したF・サントス監督の下、ラトビアとのアウェー戦で代表100試合出場を達成するなどチームで唯一全10試合先発出場して3大会連続の出場権を獲得。本戦でも3試合戦い、前回ベスト4のロシアから決勝点を挙げて2大会ぶりのグループリーグ突破を果たしました。
2014年W杯予選も、ホームのボスニア・H戦でザゴラキスが保持する代表最多記録121試合を塗り替えるなど10試合ピッチに立ち、本大会でもグループリーグ突破がかかった3戦目と初の決勝トーナメントで先発するなど全試合に出場しました。
代表記録 139試合10得点

※:ギオルゴス・カラグーニス(Giorgos KARAGOUNIS)
2012年5月23日:新規アップ 2016年6月9日更新