金崎 夢生(Mu KANAZAKI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 金崎 夢生(カナザキ ムウ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 三重県津市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1989・2・16 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2009・1・20 イエメン戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 15 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ムウ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 08,15Jリーグ優秀選手賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
08ナビスコカップ・ニューヒーロー賞 | |||||||||||||||||||||||||||||
15Jリーグベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
16Jリーグチャンピオンシップ最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 08,15ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
10,16Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
16天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
07 大分トリニータ 25 | 18 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
08 大分トリニータ 8 | 34 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
09 大分トリニータ 8 | 30 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10 名古屋グランパス 25 | 25 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
11 名古屋グランパス 25 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12 名古屋グランパス 25 | 32 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ニュルンベルク(ドイツ) 28 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ポルティモネンセ(ポルトガル2部) 90 | 30 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 ポルティモネンセ(ポルトガル2部) 10 | 17 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
15 鹿島アントラーズ 33 | 27 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
16 鹿島アントラーズ 33 | 30 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
17 鹿島アントラーズ 33 | 30 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
18 鹿島アントラーズ 10 | 15 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
18 サガン鳥栖 44 | 15 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
19 サガン鳥栖 44 | |||||||||||||||||||||||||||||
フットサル仕込みの高いテクニック、多彩な得点パターンと優れたセンスを持ちながら、ポストやプレスなど最前線から体を張ることをいとわない現代的な選手です。 攻撃的なポジションならではのエゴやアグレッシブな姿勢も特長ですが、激昂しやすい性格がマイナスの方向に及ぶこともあります。 歴史好きの母親の意向で「ムー大陸」にちなみ「夢生」と名づけられます。7歳でフットサルのクラブに入り、年長者に交じるなど全国的な存在になりました。中学でサッカー部に入りフットサルと並行して多忙になる中、滝川ニ高入学や高円宮杯優勝と結果を残しました。 07シーズンに大分に入団し、3月3日新潟戦でJにデビューします。広島や清水相手にゴールを挙げますが、勝利に結びつきませでした。2年目は柏戦から3連続ゴールを挙げるなど、精彩を欠く高松や家長の穴を埋めて4位となり、9試合に出たナビスコ杯を制しました。その後復調した家長と台頭する清武と攻撃陣を組みますが、17位に終わりました。 チームの降格もあり名古屋へ移籍。ケネディや玉田と競争が激しいものの、京都戦の決勝ゴール、横浜FM戦の同点ゴールで勝負強さを見せ、クラブ初優勝に貢献しました。 12/13シーズンに清武が所属するニュルンベルクへ移籍します。2月17日ハノーファー戦でブンデスリーガにデビューしますが、思うような結果を残せませんでした。 その後ポルティモネンセへ移籍し、2013年9月12日ベイラ・マール戦でポルトガル2部デビュー。続くトロフェンセ戦で2ゴールを挙げ、その後2度決勝ゴールを挙げました。2年目も3度の1試合2ゴールなど、10番を託してきたクラブの期待に応えました。 15シーズンに鹿島へレンタル移籍し、湘南戦から3試合連続ゴールを挙げます。神戸とのアウェー戦では初めて退場しますが、9ゴールと役割を果たしてベスト11になります。ナビスコ杯でFC東京と神戸戦での1試合2ゴールなど5ゴールで優勝に貢献しました。 レンタル期間終了に伴い一度ポルトガルに戻りますが、欧州での移籍が実現しなかったため鹿島へ完全移籍します。FC東京戦の2ゴールや磐田戦からの4連続ゴールなどキャリア初の2ケタゴールを達成しました。湘南戦で交代をめぐり石井監督に激昂し、監督人事に発展して自らの精神にも影響が及びました。それでもチャンピオンシップでは川崎との準決勝で決勝ゴール、浦和との決勝2ndレグで2ゴールを挙げてクラブを優勝に導きました。 17シーズンは4度も決勝点を挙げ、天皇杯では浦和から2発、ACLでも4発決めました。その後10番になるも途中で鳥栖へ移り、トータルで2ケタを挙げました。 U−18から代表でプレーします。2009年1月20日イエメン戦でフル代表にデビューし、翌年の東アジア杯では中国戦でプレーしました。 2018年W杯予選は2ゴールしますが、態度をハリルホジッチ監督に問題視されました。2017年E−1FCで復帰するも監督交代もありW杯出場はなりませんでした。 代表記録 2019年3月4日:新規アップ |