サロモン・カルー(Salomon KALOU)
フルネーム サロモン・アルマン・マグロワール・カルー
国籍 コートジボワール
出身地 オウメ
生年月日 1985・8・5
身長 175cm
体重 66kg
利き足
ポジション FW(LWG)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2007・2・6
ギニア戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 05オランダ年間最優秀若手選手
08アフリカ年間最優秀若手選手(CAF)
チームタイトル 03コートジボワールリーグ
03コートジボワールカップ
06/07,08/09,11/12FAカップ
06/07イングランドリーグ・カップ
11/12UEFAチャンピオンズ・リーグ
15CAFアフリカネイションズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 フェイエノールト(オランダ)
03/04 エクセルシオール(オランダ2部) 11
04/05 フェイエノールト(オランダ) 21 31 20
05/06 フェイエノールト(オランダ) 21 35 15
06/07 チェルシー(イングランド) 21 33
07/08 チェルシー(イングランド) 21 30
08/09 チェルシー(イングランド) 21 27
09/10 チェルシー(イングランド) 21 23
10/11 チェルシー(イングランド) 21 31 10
11/12 チェルシー(イングランド) 21 12
12/13 リール(フランス) 8 28 14
13/14 リール(フランス) 8 38 15
14/15 リール(フランス) 8
14/15 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 11 27
15/16 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 11 32 14
16/17 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 11 26
17/18 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 11 31 12
18/19 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 11 30
19/20 ヘルタ・ベルリン(ドイツ) 11    
フィジカルこそ線が細いものの、DFを一瞬で抜き去るスピードと足元のテクニックに定評があります。また、創造性あふれるプレーも披露します。

コートジボワールの強豪ASECのユースチームに所属していた時に、フェイエノールトのオファーを受けて入団。2003年11月30日アヤックス戦でリーグデビューを果たすなど2試合に出場しました。当時は兄ボナベントゥルも在籍していましたが、自身が2部リーグのチームにレンタルに出され、やがて兄もフランスへ移籍したため同時にピッチには立っていません。
2部リーグから復帰した後はゴールを量産します。開幕から2試合連続ゴールを挙げると、ホームのAZ戦でハットトリックを達成し、1試合2ゴールをUEFA杯シャルケ戦含め4度記録するなどの活躍で、04/05シーズンのヨハン・クライフ賞(2003年から開始。1回目はロッベン、2回目はスナイデルが受賞。過去の若手優秀選手賞を含めると、外国人では1996年のトマソン以来2人目)に選出されました。2年目も1試合2ゴールを4度記録しました。
2006年5月30日に3年契約でドログバがいるチェルシーへ移籍し、8月20日マンチェスター・C戦でプレミアデビュー。しかし豊富な選手層もあり同胞CFのような絶対的な存在になれず、決勝に進出した2年目のチャンピオンズ・リーグ決勝も終了間際の出場にとどまりました。経年のたびにリーグ戦の数字こそ精彩を欠きましたが、4年目はホームのストーク戦でハットトリックを達成し、チャンピオンズ・リーグではインテルやA・マドリーからゴールを奪いました。
10/11シーズンは開幕5試合で4ゴールと好スタートを切り、相変わらずスーパーサブとしての役割ながらゴール数を2ケタに乗せ、FA杯でも2ゴールを挙げました。しかし翌シーズンにスペイン代表マタの加入もありリーグでは出場機会が激減します。ただ、チャンピオンズ・リーグ準々決勝ベンフィカ戦1stレグやFA杯レスター戦で結果を残し、カップ2冠を達成しました。
しかしアザールやオスカルの入団が決まり、かつて兄が在籍したリールへ移籍。2012年8月11日サンテティエンヌ戦でリーグアンにデビューし、続くナンシー戦では同点ゴールを挙げます。その後はゴールから遠ざかり、チャンピオンズ・リーグでも優勝するバイエルンに大敗を喫してグループリーグで終わりましたが、シーズン後半でゴールを量産しました。
2年目もPSG相手に1ゴール1アシストと互角の戦いを演じ、アウェーのアジャクシオ戦でハットトリックを達成するなどリーグ2位タイの16ゴールを挙げ、10歳下のベルギー代表オリジと共にチームをけん引、3位になってチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
14/15シーズン開幕後にH・ベルリンに移り、9月13日マインツ戦でブンデスにデビュー。同時入団のFWシーバーに次ぐ6ゴールでチームを1部に残しました。2年目はハノーファー戦でのハットトリックなど14ゴールでチームをヨーロッパリーグ圏内に導きました。3年目もボルシアMG戦でのハットトリックなど、イビシェヴィッチに次ぐ7ゴールを挙げました。
4年目はアウクスブルク戦から3連発するなど、2年ぶりの2ケタを達成。5年目はドルトムントとの両試合でなど3度の1試合2ゴールを挙げています。

オランダ国籍を申請するものの受理されず、コートジボワール代表として2007年2月6日ギニア戦で初出場。翌年のアフリカ選手権で3ゴールを奪いベスト4の原動力になると、北京五輪ではセルビア戦とオーストラリア戦でゴールを挙げてグループリーグを突破しました。
2010年W杯予選では左WGとしてCFドログバを支え、8試合2ゴールで出場権を獲得。本大会でも全3試合に出場して北朝鮮戦でゴールを挙げました。
アフリカ選手権は2010年で3試合1ゴール、2012年は6試合でブルキナファソ戦の1ゴールに終わり、決勝でザンビアに敗れました。2013年は4試合でノーゴールに終わりました。
2014年W杯予選はチーム最多の5ゴールをマークします。特にセネガルとの最終予選では両試合でネットを揺らして自ら2度目の出場権を手繰り寄せました。本大会では日本戦など全3試合に出場したものの、決定的な仕事はできませんでした。
翌年のアフリカ選手権はガーナとの決勝で6人目のキッカーとしてPKを成功させ、母国2度目の優勝に貢献しました。2年後は3試合でノーゴールに終わりました。
2018年W杯予選も5試合で不発に終わっています。
代表記録

余談
・ボナベントゥル含む5人の兄弟と8人の姉妹がいます。
2006年7月6日:新規アップ 2019年7月8日更新