梶山 陽平(Yohei KAJIYAMA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 梶山 陽平(カジヤマ ヨウヘイ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ![]() |
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出身地 | 東京都江東区 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1985・9・24 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 75kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(CMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ヨウヘイ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 04,09ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
11天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
03 FC東京(ユース登録) | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 FC東京 23 | 16 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
05 FC東京 23 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
06 FC東京 23 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
07 FC東京 23 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08 FC東京 10 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09 FC東京 10 | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
10 FC東京 10 | 24 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
11 FC東京(J2) 10 | 34 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
12 FC東京 10 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 パナシナイコス(ギリシャ) 49 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13 大分トリニータ 49 | 9 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
14 FC東京 10 | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
15 FC東京 10 | 18 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16 FC東京 10 | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 FC東京 10 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18 FC東京 10 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18 アルビレックス新潟(J2) 13 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
キープ力に優れ、独特のリズムから相手守備陣を切り裂くスルーパスを送って決定機を演出します。また、右足から放たれるミドルは弾丸のような軌道を描きます。 守備的な位置でもプレーしますが、運動量が少なく集中力を切らす場面もあります。 小学1年からサッカーを始め、FC東陽というクラブに在籍。区の選抜チームである江東FCにも在籍しました。このチームで都の大会に出場、東京ガス(現FC東京)ジュニアに敗れました。 その後同クラブのジュニアユースで本格的に練習を始め、アマラオなどトップチームの選手を間近に見ることでプロになることを熱望し、そのままユースに昇格しました。 待望のJリーグデビューは2003年4月29日の神戸戦で、まだ高校に在学していた時でした。卒業した2004年から本格的に試合に出るようになりました。9月の東京V戦でJ初ゴールを挙げ、鹿島のDF岩政、東京VのFW森本と共に優秀新人賞にも選出されました。 2005年中盤からレギュラーとなり、主にボールを奪取する役割の今野と、攻撃のタクトを振るう自身で、Jの中でもハイレベルなダブルボランチを形成していくことになります。 09シーズンのナビスコ杯では10試合1得点で、2度目のタイトル獲得に貢献。その後は左足首と右ヒザの手術に踏み切ります。そして翌シーズンはこれらが全快しないままのプレーを余儀なくされ、チームの降格を救えず、キャリア初のJ2での戦いに臨みます。そして34試合6得点と復活をアピールして1年でのJ1復帰を果たし、初の天皇杯制覇も達成しました。 12シーズン終了後にパナシナイコスへレンタルされるものの8試合に終わり、大分でも手術の影響で満足な結果を残せずJ2に降格し、FC東京に復帰しました。 18シーズンの途中に新潟へレンタルされますが、終了前に引退を発表しました。 U−17から代表に召集され、U−20として2005年にオランダで開催されたWユースにも守備的な位置で3試合に出場し、決勝トーナメントに進出しました。 2008年北京五輪では10番を背負い3試合に出場、本田圭や谷口博、細貝と共に中盤を支えますが、3連敗でグループリーグ敗退となっています。 代表記録 2006年8月24日:新規アップ 2018年11月17日更新 |