加地 亮(Akira KAJI)
フルネーム 加地 亮(カジ アキラ)
国籍 日本 加地
出身地
生年月日 1980・1・13
身長 177cm
体重 73kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・10・8
チュニジア戦
代表背番号 21
W杯メンバー 06年
ニックネーム カジ
個人タイトル 06Jリーグベストイレブン
チームタイトル 04AFCアジアカップ
04,07ナビスコカップ
08,09天皇杯
08AFCチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 セレッソ大阪 29 15
99 セレッソ大阪 17
00 大分トリニータ(J2) 22 34
01 大分トリニータ(J2) 22 41
02 FC東京 20 20
03 FC東京 20 22
04 FC東京 20 22
05 FC東京 20 25
06 ガンバ大阪 21 29
07 ガンバ大阪 21 28
08 ガンバ大阪 21 26
09 ガンバ大阪 21 20
10 ガンバ大阪 21 32
11 ガンバ大阪 21 30
12 ガンバ大阪 21 16
13 ガンバ大阪(J2) 21 38
14 ガンバ大阪 21
14 チヴァス(アメリカ) 14 15
15 ファジアーノ岡山(J2) 21 36
16 ファジアーノ岡山(J2) 21 26
17 ファジアーノ岡山(J2) 21 24
日本でトップクラスのスタミナを誇り、右サイドでのフリーランニングとオーバーラップといったオフ・ザ・ボールで、相手のマークをひきつけて味方をフリーにしたり、自ら突破したりします。

サッカーの名門滝川二を卒業し、1998年にC大阪へ入団。ナビスコ杯第4節の福岡戦で先発フル出場してJデビューします。しかしレギュラー獲得には至らず、出場機会を求めて2000年に当時J2の大分へ移籍します。ここでは2シーズンで75試合に出場しました。
02シーズンにFC東京へ移籍します。同時期に就任した原監督の攻撃志向の布陣の中で右SBのレギュラーになります。右サイドハーフの石川直との縦の関係は良好で、チームの攻撃パターンのひとつになっていました。札幌戦ではJ1初ゴールを記録しました。
04シーズンにチームはナビスコ杯で決勝までコマを進め、PK戦までもつれる展開となりました。そして最後のキッカーとして確実に決め、日本で初のタイトルを獲得しました。
06シーズンにG大阪へ移籍。開幕の浦和戦にて左足でゴールを挙げて即戦力として期待に応えます。3バックのCBにも適応するなど明神と共にバイプレーヤーとして強豪を支えます。
ACLでは2008年大会で7試合戦い優勝、その後のクラブW杯に3試合出場します。翌年は1試合にとどまりますが、その後2年はそれぞれ5試合、6試合に出場しました。
Jリーグでは12シーズンにケガで出場試合が16とG大阪移籍後最少となり、降格の一因となりました。雪辱を期す翌シーズンは副主将として1年でJ1に戻りました。
14シーズンの中断期間中にチヴァスへの移籍をまとめます。7月20日DCユナイテッド戦でMLSにデビューし、コロラド戦で決勝点を演出するなど15試合に出場します。
しかし財政難でチームが解散したため、J2岡山へ移籍します。CB岩政と共に2年目はチームを引き上げますが、C大阪とのプレーオフに出られませんでした。3年目は24試合に出場しますが再び2ケタ順位に終わり、引退を表明しました。

1999年ナイジェリアでのWユースでは、酒井友の控えとして3試合に途中出場して準優勝。フル代表デビューは2003年10月8日、チュニジアとの親善試合となりました。
2004年のイングランド遠征以降は代表の右サイドに定着。2006年W杯予選、中国でのアジア杯優勝を経験しました。2005年6月のコンフェデ杯では3試合プレー、ブラジル戦ではロナウヂーニョとのマッチアップや、惜しくもオフサイドでしたがシュートを決めるなど見せ場を作りました。8月の本拠イラン戦で前半28分に代表初ゴールを挙げて勝利に貢献しました。
ジーコ監督からの信頼も厚く、2006年W杯予選で11試合出場。本大会では初戦のオーストラリア戦こそ負傷で出場しませんでしたが、その後回復して先発に戻りました。
オシム政権でも2007年アジア杯で6試合に出ました。その後岡田監督が就任すると内田が台頭、自らもクラブでのプレーに専念する意向を示して20代で引退しました。
代表記録 64試合2得点

※:兵庫県南あわじ市
2006年6月19日:新規アップ 2017年11月26日更新