ホセ・マヌエル・フラード(Jose Manuel JURADO)
フルネーム ホセ・マヌエル・フラード ・マリン
国籍 スペイン
出身地
生年月日 1986・6・29
身長 173cm
体重 72kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー  
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 09/10UEFAヨーロッパリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 レアル・マドリーB(3部)
03/04 レアル・マドリーB(3部) 35
04/05 レアル・マドリーB(3部) 23
05/06 レアル・マドリー 29
06/07 アトレティコ・マドリー 15 33
07/08 アトレティコ・マドリー 15 16
08/09 マジョルカ 10 34
09/10 アトレティコ・マドリー 9 38
10/11 シャルケ(ドイツ) 18 28
11/12 シャルケ(ドイツ) 18 18
12/13 スパルタク・モスクワ(ロシア) 19 18
13/14 スパルタク・モスクワ(ロシア) 19 29
14/15 スパルタク・モスクワ(ロシア) 19 18
15/16 スパルタク・モスクワ(ロシア) 19
15/16 ワトフォード(イングランド) 7 27
16/17 エスパニョール 14 31
17/18 エスパニョール 14 29
18/19 アル・アハリ(サウジアラビア) 10 17
19 長春亜泰(中国) 10
19/20 カディス(2部)    
小柄ですがキレのあるドリブルで敵陣に切り込み、決定的なスルーパスを送る卓越した局面打開能力を持つ攻撃的MF。両足を自在に操るテクニシャンでもあります。

R・マドリーの下部組織で成長します。リザーブチームではDFアルベロアやFWソルダードらと共に活躍し、「カンテラのジダン」と評されるなど高い評価を得ていました。
2005年10月29日ベティス戦でリーガデビュー。チャンピオンズ・リーグでもオリンピアコス戦でプレーしますが、ジダンやベッカムといったワールドクラスが並ぶトップチームの中盤では出場機会が限られ、ライバルのA・マドリーと3年契約を結びます。
そしてマキシやM・ペトロフと共に攻撃的役割を担い、F・トーレス、フォルラン、アグエロといったストライカーにアシストを供給します。自らは無得点でしたが、リーグ7位となりました。
2年目はセビージャやデポルティボから点を取りますが、R・ガルシアやモッタ、シモンの加入もあり16試合の出場に終わります。UEFA杯では5試合で1アシストを決めました。
08/09シーズンにマジョルカへレンタルされると、本拠バレンシア戦の2得点など通算9得点9アシストと背番号10の役割を果たしA・マドリーへ呼び戻されます。国内では全試合出場し7得点4アシスト、ヨーロッパリーグでも初代王者になり初タイトルを手にしました。
ヨーロッパスーパー杯でインテルを下し、S・ヒホンとの開幕戦でチームのシーズン初得点を挙げますが、チャンピオンズ・リーグ出場を見据えたシャルケと4年契約を結びます。
2010年9月10日ホッフェンハイム戦でブンデスリーガにデビュー。バイエルン戦での初得点で勝利に貢献。チャンピオンズ・リーグではH・テルアヴィヴ、ベンフィカ、マンチェスター・Uとの準決勝と3点を挙げ、同時に加入した元同僚ラウールと共に攻撃陣をけん引しました。
しかし2年目は18試合に終わり、S・モスクワへレンタル移籍します。2012年9月15日クバン戦でロシアリーグにデビューし、モルドヴィア戦、Kソヴェトフ戦と2節連続で得点をマーク。完全移籍となった2年目はD・モスクワ戦をはじめ3度の1試合2得点を挙げて、アルメニア代表モヴシシャンと共に攻撃の中心として活躍しました。
15/16シーズンが開幕した後にワトフォードへ移籍します。8月8日エヴァートンとの開幕戦でプレミアにデビューして27試合と主力になりますが、1年で退団しました。
16/17シーズンに母国に戻ります。ラス・パルマス戦の1得点1アシストなど、レギュラーとしてチームの1ケタ順位に貢献しました。
18/19シーズンにフリーでアル・アハリへ移籍し、1得点4アシストの成績を残しました。翌シーズンの中国リーグでは8試合にとどまりました。
その後は母国2部リーグに移っています。

2003年のU-17W杯にセスクやシルバと共に出場。6試合3得点で決勝に進みますが、ブラジルに敗れました。2009年のU-21欧州選手権では3試合に先発しています。
代表記録

※:サンルーカル・デ・バラメダ
2011年2月20日:新規アップ 2019年7月25日更新