ジュニーニョ(JUNINHO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ブラジル | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | バイーア | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1977・9・15 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 174cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 60kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(ST) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ジュニ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 07Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
07Jリーグ得点王 | |||||||||||||||||||||||||||||
14Jリーグ功労選手賞 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 12ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
96 バイーア | 16 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
97 バイーア | 19 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
98 バイーア | |||||||||||||||||||||||||||||
99 ヴィラ・ノヴァ | |||||||||||||||||||||||||||||
00 ウニオン・サン・ジョアン | |||||||||||||||||||||||||||||
00 パルメイラス | 21 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
01 パルメイラス | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 パルメイラス | 17 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
03 川崎フロンターレ(J2) 10 | 39 | 28 | |||||||||||||||||||||||||||
04 川崎フロンターレ(J2) 10 | 39 | 37 | |||||||||||||||||||||||||||
05 川崎フロンターレ 10 | 31 | 16 | |||||||||||||||||||||||||||
06 川崎フロンターレ 10 | 29 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
07 川崎フロンターレ 10 | 31 | 22 | |||||||||||||||||||||||||||
08 川崎フロンターレ 10 | 32 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
09 川崎フロンターレ 10 | 33 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
10 川崎フロンターレ 10 | 19 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
11 川崎フロンターレ 10 | 32 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
12 鹿島アントラーズ 8 | 27 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
13 鹿島アントラーズ 8 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
ゴール前での落ち着きや勝負強さが際立つ点取り屋です。中盤まで下がってボールを受け、スピードに乗りながら変幻自在のドリブルで相手ゴールを脅かします。単独で局面を打開できるスキルを持ちますが、チームプレーも率先してこなします。PKも高い成功率を誇ります。 17歳の頃に故郷のバイーアでプロキャリアをスタートさせました。国内クラブを転々とした後、00シーズンにパルメイラスに引き抜かれます。ブラジル時代は主にトップ下あるいはスピードを買われてサイドでプレーしていました。02シーズンに就任したルシェンブルゴ監督にFWへコンバートされました。その後監督交代があり、クラブも創立以来初の2部降格となりました。 失意の中、折りよく川崎Fからオファーがあり移籍を決意します。2003年3月15日の開幕戦でJリーグデビューを果たし、次節で早くも初ゴールをマークすると、2試合連続を含む3度のハットトリックを達成するなど28ゴールを挙げましたが、勝ち点わずか1差で昇格を逃しました。 日本人のエース我那覇との相性も抜群で、04シーズンは3度のハットトリックや2部タイ記録(もう一人は京都FW黒部光昭)となる7試合連続ゴールを記録し、39試合で37ゴール(J2最多記録)という驚異的なペースでゴールを量産して得点王に輝きます。チームの勝ち点105、得点104と圧倒的な強さでのJ2優勝の原動力となって昇格に大きく貢献しました。 05シーズンからJ1での戦いとなり、10月15日名古屋戦でJ1で初のハットトリックを達成するなどシーズン16ゴールを挙げて残留に貢献すると、翌シーズンは優勝争いでマークがきつくなる中で20ゴールを挙げてチームを2位に導き、ACL出場権を獲得しました。 07シーズンも変わらずチームをけん引し、得点王になると共に11アシストを記録。ナビスコ杯や天皇杯でも満遍なくゴールを重ねます。また、このシーズンに台頭したチョン・テセとの2トップは、やがてJリーグを代表する強力な2トップとなります。 08シーズンはフッキが3シーズンぶりにレンタルバックされ、本来のトップ下を務めます。しかし彼がすぐに退団し、再び2トップの一角を担います。また、日本国籍取得に向けた発言をしたため、状況が困難とは言え動向が注目を集めました。 09シーズンもリーグで17ゴール、ナビスコ杯で5試合3ゴールと好成績を残すものの、いずれも準優勝と悲願のタイトル獲得にあと一歩及びませんでした。 10シーズンは19試合の出場に終わりましたが、アウェーの湘南戦でハットトリックなど、チーム最多の14ゴールと結果を残します。翌シーズンも優勝する柏と2戦2ゴール、終盤に2試合3ゴールと印象深い働きを見せました。 12シーズンに9年過ごした川崎Fを離れて鹿島に加入します。ここでは小笠原と共に大迫やダヴィいったストライカーへのおぜん立てに徹しています。 ※:カルロス・アルベルト・カルヴァーリョ・ドス・アンジョス・ジュニオール 2007年2月2日:新規アップ 2014年10月21日更新 |