城 彰二(Shoji JO)
フルネーム 城 彰二(ジョウ ショウジ)
国籍 日本 城
出身地 北海道室蘭市
生年月日 1975・6・17
身長 179cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1995・9・20
パラグアイ戦
代表背番号 9 18 19
W杯メンバー 98年
ニックネーム ジョウ
個人タイトル 07Jリーグ功労選手賞
チームタイトル 01ナビスコカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94 ジェフ市原 33 12
95 ジェフ市原 43 14
96 ジェフ市原 23
97 横浜マリノス 9 21 12
98 横浜マリノス 9 31 25
99 横浜Fマリノス 11 25 18
99/00 バジャドリー(スペイン) 25 15
00 横浜Fマリノス 31
01 横浜Fマリノス 11 25
02 ヴィッセル神戸 9 25
03 横浜FC(J2) 25 33 12
04 横浜FC(J2) 25 35
05 横浜FC(J2) 9 40 12
06 横浜FC(J2) 9 43 12
瞬発力に優れ、動き出しが速いため相手を置き去りにします。恵まれた身体でポスト役をこなし、巧みな技術でプレスや厳しいマークにも対応します。ヘディングは強烈で打点が高く、得意なゴールパターンです。ゴールパフォーマンスでは宙返りをします。

北海道室蘭市出身。小学4年からサッカーを始めます。中学時代に鹿児島県に引越して九州選抜チームに名を連ね、全国大会で得点王に輝きました。高校は鹿児島実業に入学し、インターハイで準優勝、高校選手権でもベスト4に進出しました。
卒業後市原(現千葉)に入団。G大阪との開幕戦で高卒ルーキーながら先発出場し、2ゴールを挙げて鮮烈なデビューを果たしました。その後4試合連続ゴールを挙げ、オールスターでもゴールを記録。シーズン12ゴールを挙げてJリーグに新風を吹き込みました。1995年4月5日清水戦では、Jリーグ通算1500の記念ゴールを挙げました。
97シーズンから横浜M(現横浜FM)に移籍し、元スペイン代表J・サリーナスとコンビを組みゴールを量産します。特に2シーズン目には自己最高の25ゴールを挙げました。99シーズンには1stステージのC大阪戦でハットトリックも達成するなど、文句のつけようがない活躍でしたが、チームの順位に結びつかずタイトルには恵まれませんでした。
2000年1月、スペインリーグのR・バジェカーノへの移籍が白紙になりましたが、バジャドリーへレンタル移籍し、初めて同リーグでプレーする日本人選手となります。第20節のヌマンシア戦にて途中出場しリーガデビュー。3戦目のデポルティボ戦で先発出場し、前線でコンビを組むビクトルへのアシストを決めて勝利に貢献。その後アウェーのバルセロナ戦でフル出場して自信を得ると、次節オビエド戦で2ゴールを挙げました。その後代表での中国戦で左ヒザ十字じん帯損傷の診断を受け、契約更新はなりませんでした。帰国後ナビスコ杯を獲得しますが、コンディションが戻らずゴール数が激減しました。
03シーズンよりJ2の横浜FCでプレー。3年目にカズ、山口素、4年目途中に小村も加入し、攻守ともバランスが取れたチームでキャプテンを務め、チームで2番目に多い12ゴールを挙げてクラブ初のJ1昇格を果たしましたが、古傷の左ヒザが限界に達したため引退を決意しました。
その後は解説者として活動しています。
J1リーグ 230試合95得点 J2リーグ 151試合44得点

西野監督の下、アトランタ五輪に3試合出場。前園、中田英らと共に「マイアミの奇跡」を経験しますがノーゴールに終わり、グループリーグ突破はなりませんでした。
フル代表デビューは1年さかのぼって1995年9月20日のパラグアイ戦で。カズや高木、帰化した呂比須らライバルが多い中、1997年11月16日のアジア第3代表決定戦となるイラン戦では、1点ビハインドの後半にカズと交代でピッチに立って得意のヘッドで同点ゴールを挙げ、日本のW杯初出場に大きく貢献しました(ジョホールバルの歓喜)。
本大会では中田英とのコンビネーションを買われ全3試合スタメン出場を果たしましたが、残念ながら結果を残せず無念のグループリーグ敗退となりました。
その後2000年のハッサン2世杯のジャマイカ戦で2ゴールを挙げて勝利に貢献。2001年に大敗したフランス戦以降は召集を受けませんでした。
代表記録 35試合7得点
2007年5月5日:新規アップ 2012年3月1日更新