ジョアン・モウティーニョ(JOAO MOUTINHO)
フルネーム ジョアン・フィリペ・イリア・サントス・モウティーニョ
国籍 ポルトガル  
出身地 ポルティマン
生年月日 1986・9・8
身長 170cm
体重 61kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2005・8・17
エジプト戦
代表背番号 8 10
W杯メンバー 14年 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 06/07,07/08,10/11ポルトガルカップ
10/11〜12/13ポルトガルリーグ
10/11UEFAヨーロッパリーグ
16UEFA欧州選手権
16/17リーグアン
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 スポルティング 28 15
05/06 スポルティング 28 34
06/07 スポルティング 28 29
07/08 スポルティング 28 30
08/09 スポルティング 28 27
09/10 スポルティング 28 28
10/11 ポルト 8 27
11/12 ポルト 8 29
12/13 ポルト 8 27
13/14 モナコ(フランス) 8 31
14/15 モナコ(フランス) 8 37
15/16 モナコ(フランス) 8 26
16/17 モナコ(フランス) 8 31
17/18 モナコ(フランス) 8 33
18/19 ウルヴズ(イングランド) 28 38
19/20 ウルヴズ(イングランド) 28    
洗練された技術でのドリブル、機動力、優れたパス能力を兼ね備えた司令塔。豊富な運動量でトップ下からボランチ、サイドに至るまで中盤を広範囲にカバーします。

家族もサッカー選手で早い時期からボールに触れ、5歳でポルティモネンセの育成組織に入ります。その後スポルティングに13歳で入り、4年後にトップへ上がります。
そして2005年1月23日ジウ・ビセンテ戦でデビューし、翌シーズンにはリーグのMFとして唯一全試合フル出場を果たすなど、06/07シーズン第23節ベイラ・マール戦で出場停止処分を受けるまで、国内リーグ95試合連続出場を果たしました。04/05シーズンにはUEFA杯に9試合出場して決勝の舞台にも立ちましたが、C・モスクワに敗れました。
そしてクラブと6年間の長期契約を結び、苦楽を共にしたナニが去った07/08シーズンから、1908年から16年在籍したストロンプに次ぐクラブ史上2番目の若さでキャプテンを任されます。そしてM・ヴェローゾやパトリシオ、リエヂソンと共にチームの中心としてカップ連覇を達成しました。国内リーグでも敗れはしましたが、ポルトからゴールを奪いました。それぞれ6試合戦ったチャンピオンズ・リーグはマンチェスター・Uやローマに、UEFA杯もレンジャーズに敗れました。翌シーズンのチャンピオンズ・リーグでもバルセロナと共にグループリーグを通過します。バイエルンとの決勝トーナメント初戦は2戦合計で12失点しましたが、一矢報いました。
10/11シーズンにポルトへ移籍します。フッキ、ファルカオ、ヴァレラ、グアリンといった破壊力ある面々と共演し、3冠を成し遂げます。また、ヨーロッパリーグでも全15試合に出場して二代目王者になりました。ハメスやJ・マルティネスといったコロンビア勢と臨んだ3年目はD・モスクワ戦で1ゴール2アシスト、隣国マラガ戦でも決勝ゴールと欧州で目立ちました。
13/14シーズンにモナコへ移ります。9月1日マルセイユ戦のリーグデビュー戦で勝ち越しゴール、PSG戦でも同点ゴールをアシストするなど、ファルカオやハメスとのコンビネーションを復活させました。2年目はチャンピオンズ・リーグでレヴァークーゼン戦で決勝点、国内リーグのトゥールーズ戦では1ゴール1アシストを決めました。3年目はアウェーのロリアン戦で1ゴール1アシストと、一人で試合を決定づけました。4年目は優勝を争うPSG戦やチャンピオンズ・リーグのユヴェントス戦でゴールを挙げ、国内外で強豪相手に結果を残しました。
5年目は開幕から2戦連続で計3アシストし、リール戦ではスルーしてヨヴェティッチのゴールを生みました。唯一のゴールもPSGへの一矢と存在感を見せました。
18/19シーズンにウルヴスへ移籍。8月11日エヴァートン戦でプレミアデビューし、マンチェスター勢に立て続けに決定機を作るなど8アシストして7位になりました。
2年目もマンチェスター・CU相手に同点アシストしています。

フィンランドでの2003年U−17世界選手権に出場してベスト8になりました。2005年8月17日、エジプトとの親善試合にて18歳でフル代表デビュー。翌年のW杯予選は2試合に出場しますが、本大会には選ばれませんでした。しかし同年のU−21欧州選手権ドイツ戦では試合終了直前にゴールを決め、翌年の同大会でも4試合と主力として働きました。
2008年欧州選手権予選では6試合プレー。親善試合グルジア戦で初ゴールを挙げ、本大会では背番号10を与えられて全4試合に出場しました。
2010年W杯予選は5試合に出ますが、本大会から外れました。2012年欧州選手権予選は9試合戦い、アイスランド戦で点を取りました。本大会は全5試合に出場してスペインとの準決勝もPK戦に持ち込みますが、最初のキッカーとして失敗して敗退しました。
2014年W杯予選は全12試合に出て6アシストします。3試合に出た本大会はペペがドイツ戦で一発退場して大敗したことが響き、グループリーグで終わりました。
7試合に出た2016年欧州選手権予選は、終盤にデンマークとセルビア相手に連続ゴールを決めて母国を本大会に導きます。本大会では7試合戦い、ホスト国フランスとの決勝でエデルの決勝ゴールを演出して初優勝に貢献しました。
2017年コンフェデ杯は4試合に出場して3位になりました。2018年W杯予選は8試合で1ゴールを挙げ、本戦ではモロッコ戦でC・ロナウドをアシストしました。
代表記録

2016年5月27日:新規アップ 2019年9月6日更新