ハビ・マルティネス(JAVI MARTINEZ)
フルネーム ハビエル・マルティネス・アギナガ
国籍 スペイン  
出身地 エステジャ
生年月日 1988・9・2
身長 190cm
体重 81kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2010・5・29
サウジアラビア戦
代表背番号 4 20
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 07UEFAU−19欧州選手権
10FIFAワールドカップ
11UEFAU−21欧州選手権
12/13〜18/19ブンデスリーガ
12/13,13/14,15/16DFBカップ
12/13UEFAチャンピオンズ・リーグ
13FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05/06 オサスナB(3部) 32
06/07 アスレティック・ビルバオ 24 35
07/08 アスレティック・ビルバオ 24 34
08/09 アスレティック・ビルバオ 24 32
09/10 アスレティック・ビルバオ 24 34
10/11 アスレティック・ビルバオ 24 35
11/12 アスレティック・ビルバオ 24 31
12/13 バイエルン(ドイツ) 8 27
13/14 バイエルン(ドイツ) 8 18
14/15 バイエルン(ドイツ) 8
15/16 バイエルン(ドイツ) 8 16
16/17 バイエルン(ドイツ) 8 25
17/18 バイエルン(ドイツ) 8 22
18/19 バイエルン(ドイツ) 8 21
19/20 バイエルン(ドイツ) 8    
長いストライドを活かしたダイナミックな攻撃参加と、広い視野でのそつのないパスワーク、アグレッシブなボール奪取、力強い統率でチームの心臓となります。

ログロニェスなどを経て2001年にオサスナへ。05/06シーズンにBで32試合2得点の成績を残して「ヴィエラの再来」と期待されますが、トップ昇格はなりませんでした。
その後A・ビルバオに引き抜かれ、2006年8月27日R・ソシエダとの開幕戦でリーガデビュー。3戦目のA・マドリー戦では敗れるも初ゴールを決め、12月16日のデポルティボ戦では2ゴールと、エチェベリアやジェステらと共にチームに不可欠となります。
チェルシー、リヴァプール、フィオレンティーナと強豪から注目される中、2年目はA・マドリー戦で味方をアシストし、バレンシア戦ではゴールと強豪相手に仕事をしました。3年目はリーグで5ゴールを挙げ、8試合に出場した国内カップは準優勝になりました。
4年目は開幕戦でアシストし、アルメリア相手の2試合での3ゴールなど自己最多の6ゴールを挙げました。ヨーロッパリーグでもベスト32に進出しました。
5年目はエチェベリアとジェステが退団しましたが、FWジョレンテと共にチームをけん引、1月の3連続ゴールなどで6位となり、ヨーロッパリーグ出場権を手に入れました。
11/12シーズンにビエルサ新監督によりCBにコンバートされます。R・マドリー戦など自己最多の3枚のレッドを受けますが、まずまずの結果を残します。また、9試合に出場した国内カップと14試合に出場したヨーロッパリーグではいずれも準優勝になりました。
躍進の立役者になったものの、当時のブンデスリーガ史上最高額でバイエルンへ。2012年9月2日シュツットガルト戦でデビューし、マインツ戦でダメ押し点を演出しました。
シュヴァインシュタイガーやJ・ボアテングらと連携して3冠を達成します。しかし3年目の開幕前に左ヒザの十字靭帯を断裂し、リハビリに多くの時間を費やしました。
復帰後はフンメルスやジューレらとコンビを組み、攻撃面でも18/19シーズンにはH・ベルリンとボルシアMG相手に連発するなど巻き返しを図っています。

U−17から各年代の代表に名を連ね、2007年のU−19欧州選手権で優勝しました。2009年のU−21欧州選手権はグループリーグで敗退しましたが、2年後の同大会では主将として全5試合戦い、GKデ・ヘアやMFカペル、チアゴらと共に優勝しました。
フル代表デビューは2010年5月29日にインスブルックで行われたサウジアラビア戦。直後のW杯でもチリ戦でプレーし、母国初優勝のメンバーに名を連ねました。2012年欧州選手権予選は2試合、本戦にも1試合出ました。
直後のロンドン五輪にも出場します。しかし初戦で日本に出ばなをくじかれ、ホンジュラスとモロッコにも勝利できず、まさかのグループリーグ敗退となりました。
その後コンフェデに3試合出ますが、W杯はチリ戦のみに終わりました。
代表記録

2019年8月30日:新規アップ