ラウール・ヒメネス(Raul JIMENEZ)
フルネーム ラウール・アロンソ・ヒメネス・ロドリゲス
国籍 メキシコ  
出身地 テペヒ
生年月日 1991・5・5
身長 186cm
体重 77kg
利き足
ポジション FW(LWG)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2013・1・30
デンマーク戦
代表背番号 9 19
W杯メンバー 14年 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル   12ロンドンオリンピック金メダル
12/13メキシコリーグ
15/16,16/17ポルトガルリーグ
15/16ポルトガルリーグ・カップ
16/17ポルトガルカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
08/09 アメリカ・コアパ(3部)
09/10 アメリカ・コアパ(3部) 32 13
10/11 アメリカ・コアパ(3部)
11/12 クラブ・アメリカ 47 18
12/13 クラブ・アメリカ 9 39 14
13/14 クラブ・アメリカ 9 35 16
14/15 クラブ・アメリカ 9
14/15 アトレティコ・マドリー(スペイン) 11 21
15/16 ベンフィカ(ポルトガル) 9 18
16/17 ベンフィカ(ポルトガル) 9 19
17/18 ベンフィカ(ポルトガル) 9 33
18/19 ウォルヴァーハンプトン(イングランド) 9 38 13
19/20 ウォルヴァーハンプトン(イングランド) 9    
長身ですが足元は器用で、スペースやライン裏への飛び出し、アクロバティックさも兼ね備えるスケールの大きいプレーが目を引くメキシコ代表アタッカーです。

3部で実績を作り、11/12シーズンにC・アメリカに入団して10月9日モレリア戦で1部にデビューします。2年目にレギュラーに定着して3度の1試合2得点など計14得点を挙げ、エクアドル代表ベニテスと共に優勝の原動力となりました。彼が抜けた2年目はエースとなり、序盤の4試合連続弾、サントス・L戦のハットトリックなど自己最多の16得点を挙げました。
14/15シーズンはペラルタとコンビを組みプエブラ戦でハットトリックを決めました。その後A・マドリーに引き抜かれ、8月25日R・バジェカーノとの開幕戦でリーガにデビュー。しかしグリーズマンやマンヂュキッチの前にベンチスタートが多く、1得点2アシストに終わりました。
その後ベンフィカと5年契約し、2015年8月23日アロウカ戦でポルトガルリーグにデビュー。続くモレイレンセ戦で得点を挙げますが、ジョナス、ミトログル、ピッツィと層が厚くスーパーサブに甘んじました。それでもリーグ杯でも大会最多の4得点で優勝に貢献しました。チャンピオンズ・リーグでも古巣A・マドリー戦で一矢を演出し、バイエルンから得点を挙げました。
2年目もリーグ戦で序盤の2連発やスポルティング戦の決勝弾、カップ戦でも3得点で2冠に貢献しますが、序列は変わりませんでした。3年目は国内スーパー杯で点を取ると、リーグ戦でもFW最多タイの33試合に出場してセトゥーバウ戦など6得点を挙げました。
18/19シーズンにウルヴズへ移籍します。8月11日エヴァートンとのプレミアデビュー戦で同点ヘッドを決めます。その後バーンリー戦で決勝点を挙げ、トッテナムとのアウェー戦やチェルシーとの両試合などヨーロッパで初の2ケタ得点をマークしました。また、マンチェスター・Uとの両試合など7アシストと昇格したクラブを7位に躍進させました。FA杯でもリヴァプールやマンチェスター・Uなど4得点を挙げて、チームをベスト4に導いています。

2012年のトゥーロンでは5試合戦いオランダとの準決勝で得点を挙げました。直後の五輪では日本戦など5試合戦い、決勝でブラジルを下して金メダルを獲得しました。
フル代表デビューは2013年1月30日デンマーク戦。6月のコンフェデ杯では日本戦など3試合戦いますが、グループリーグで敗退しました。翌月にはゴールド杯に5試合出てカナダとT・トバゴ相手に点を取り、ハードスケジュールをものともしない活躍を見せました。
2014年W杯予選は5試合戦いパナマ戦でバイシクルを決め、ニュージーランドとのプレーオフ1stレグでも得点を挙げました。本大会はホスト国ブラジル戦に出場しました。
2015年のコパ・アメリカは3試合戦い、チリとエクアドル相手に連発しました。翌年のコパ・アメリカCも3試合に出ますが、不発に終わりました。
2017年コンフェデ杯は4試合に出てニュージーランド戦で同点弾を挙げました。翌年のW杯予選は10試合で2得点を挙げますが、本戦は2試合の途中出場に終わりました。
代表記録

2017年6月27日:新規アップ 2019年8月15日更新