ジュリオ・セーザル(JULIO CESAR)
フルネーム
国籍 ブラジル
出身地 リオデジャネイロ
生年月日 1979・9・3
身長 186cm
体重 79kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・7・8
チリ戦
代表背番号 1 12 22
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム  
個人タイトル 09/10UEFA年間最優秀GK
チームタイトル 99〜01,04リオデジャネイロ州選手権
04CONMEBOLコパ・アメリカ
06/07〜09/10セリエA
05/06,09/10,10/11コッパ・イタリア
09FIFAコンフェデレーションズ・カップ
09/10UEFAチャンピオンズ・リーグ
13FIFAコンフェデレーションズ・カップ
14/15〜16/17ポルトガルリーグ
15/16ポルトガルリーグ・カップ
16/17ポルトガルカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 フラメンゴ
99 フラメンゴ
00 フラメンゴ 16
01 フラメンゴ 26
02 フラメンゴ 16
03 フラメンゴ 37
04 フラメンゴ 34
04/05 キエーヴォ(イタリア) 12
05/06 インテル(イタリア) 12 29
06/07 インテル(イタリア) 12 32
07/08 インテル(イタリア) 12 35
08/09 インテル(イタリア) 12 36
09/10 インテル(イタリア) 12 38
10/11 インテル(イタリア) 1 25
11/12 インテル(イタリア) 1 33
12/13 QPR(イングランド) 33 24
13/14 QPR(イングランド2部) 33
14 トロントFC(アメリカ) 30
14/15 ベンフィカ(ポルトガル) 20 23
15/16 ベンフィカ(ポルトガル) 12 24
16/17 ベンフィカ(ポルトガル) 12
17/18 ベンフィカ(ポルトガル) 12    
GKとしての上背の不足をカバーする安定感と試合の流れを読む能力、至近距離での抜群の反応でゴールを守ります。また、足元の技術にも優れています。

リオデジャネイロに生まれ、郊外のグラジャウで少年時代を過ごします。フットサルからスタートした当初は攻撃的なプレーヤーでしたが、12歳からGKにコンバートされると才能が大きく開花し、3年も経たないうちに代表招集されることになったのです。
1998年にフラメンゴに入り、FWアドリアーノやDFフアンらとともに州選手権制覇に貢献します。その後インテルに引き抜かれます。EU圏外の選手枠が埋まっていたためキエーヴォへレンタルに出されましたが、1度も出場することなく04/05シーズンが終わりました。
2005年にインテルに復帰して正式に3年契約を結び、プレシーズンで好プレーを披露。経験豊富な正GKトルドからポジションを奪い、8月28日トレビーゾとのセリエAデビュー戦を完封勝利で飾ります。3年目までは控えに回ることも多かったものの、4年目以降は絶対的な守護神となり、リーグ連覇に加え09/10シーズンはイタリア初の3冠を成し遂げました。
10/11シーズンは本拠のミラノダービーでプレーできませんでしたが、それまで出場がなかった国内カップに3試合出場して連覇を達成しました。
11/12シーズンを最後に7年以上過ごしたイタリアを後にしてQPRに入団。2012年9月15日チェルシー戦のプレミアデビューでクリーンシートを達成しました。チームは監督交代もあって安定せず最下位に終わりましたが、自身は劣勢が多い中で好プレーを披露しました。
降格後はイングランド代表グリーンの前に出番が限られ、MLSへレンタルされます。3月15日シアトル戦でデビューし、W杯終了後にベンフィカに完全移籍します。
2014年9月21日モレイレンセ戦でリーグデビュー。11節から7試合連続で完封勝利を見せるなど、ポルトとの争いを制して31年ぶりのリーグ連覇に貢献しました。2年目もリーグ2位の失点数で3連覇を果たしました。3年目は同胞の後進エデルソンの控えとなっています。

U−15より各年代の代表に招集され、1995年のU−17世界選手権では6試合ゴールマウスを守ります。2003年コンフェデ杯に招集されるものの出場は見送られました。
2004年7月8日、コパ・アメリカのチリ戦でフル代表デビュー。全6試合に出場し、PK戦にもつれた決勝アルゼンチン戦ではダレッサンドロのキックを止めて優勝に貢献。しかし2006年W杯予選は2試合に終わり、本大会もヂーダの牙城を崩せず出場機会はありませんでした。
2007年コパ・アメリカには出ませんでしたが、2年後のコンフェデ杯で5試合戦い優勝。2010年W杯予選全18試合、本大会も5試合に出場しますが、準々決勝オランダ戦ではF・メロと交錯して相手のクロスをパンチングし損ねてゴールを奪われ、チームも敗れました。
2011年コパ・アメリカでは4試合出場しますが、パラグアイにPK戦で敗れました。一時は離れましたが、クラブでの活躍を2度目の就任となるスコラーリ監督に評価されて復帰します。2013年コンフェデ杯では日本、メキシコ、決勝スペイン戦と3度も完封して優勝しました。
クラブでの不遇で試合勘が懸念されたものの、2014年W杯は全7試合出場。大会第1号がオウンゴールと不運でしたが、チリとの決勝トーナメント1回戦では味方に予告した通り相手のPKを3本止めてマン・オブ・ザ・マッチに選ばれます。しかしコロンビア戦でネイマールが倒れ、T・シウヴァが累積警告を受けました。D・ルイスやダンテらとの守備では充実した戦力を誇るドイツの猛攻を防ぐことができず、地元での準決勝を7失点とキャリア最悪の結果で終えました。
代表記録

余談
・FWロナウドの元恋人だったモデルと結婚しています。
※:ジュリオ・セーザル・ソアレス・エスピンドラ
2007年8月18日:新規アップ 2017年7月13日更新