フルネーム エドガラス・ヤンカウスカス
国籍 リトアニア  
出身地 ビリニュス
生年月日 1975・3・12
身長 192cm
体重 86kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1991・11・15
エストニア戦
代表背番号 9 11
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 95/96リトアニアリーグ得点王
97,98,00,01,04リトアニア年間最優秀選手
チームタイトル 90/91,92/93,93/94リトアニアカップ
91/92リトアニアリーグ
97/98ベルギーリーグ
02/03,03/04ポルトガルリーグ
02/03ポルトガルカップ
02/03UEFAカップ
03/04UEFAチャンピオンズ・リーグ
05/06スコットランドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91/92 ザルジリス・ビリニュス 14
92/93 ザルジリス・ビリニュス 15
93/94 ザルジリス・ビリニュス 17
94/95 ザルジリス・ビリニュス 20
95/96 ザルジリス・ビリニュス 27 25
96 CSKAモスクワ(ロシア) 18
97 トルペド・モスクワ(ロシア) 29 10
97/98 クラブ・ブルージュ(ベルギー) 17
98/99 クラブ・ブルージュ(ベルギー) 22
99/00 クラブ・ブルージュ(ベルギー) 14
99/00 レアル・ソシエダ(スペイン) 34 15
00/01 レアル・ソシエダ(スペイン) 22 27 11
01/02 レアル・ソシエダ(スペイン) 22 13
01/02 ベンフィカ(ポルトガル) 29 12
02/03 ポルト(ポルトガル) 9 30
03/04 ポルト(ポルトガル) 9 24
04/05 ニース(フランス) 11 21
05/06 ハーツ(スコットランド) 9 25
06/07 ハーツ(スコットランド) 9 13
07/08 AEKラルナカ(キプロス) 9 15
07/08 ベレネンセス(ポルトガル) 75
08 スコント・リガ(ラトビア) 10
09 REOビリニュス
09 ニューイングランド(アメリカ) 10 10
10 ニューイングランド(アメリカ) 10
11/12 ファケル・ヴォロネジ(ロシア2部) 29 10
190cmを超える体格ながら、繊細なタッチと懐の深いキープで攻撃にタメを作るポストプレーを得意とするリトアニアの開拓者です。

リトアニア(当時のソ連)の首都であるビリニュスに生まれます。地元P・ビリニュスでキャリアを始め、16歳の時にZ・ビリニュスへ移籍してプロデビューします。そしてリーグ優勝を達成すると、95/96シーズンには25得点と圧巻の攻撃力を見せて得点王に輝きました。
以降は海外へ活躍の場を移します。2シーズン過ごしたモスクワでも結果を残し、97/98シーズンに移ったベルギーでもいきなり国内リーグを制覇しました。
2000年1月、リトアニア人史上最高額でR・ソシエダへ移籍、と同時にスペインリーグ史上初のリトアニア人プレーヤーとなります。クレメンテ、トシャック両監督のもと、C・モスクワでのMFホフロフとの連携を復活させ、2年目は2ケタ得点を挙げました。3年目も優勝するバレンシアから2得点を挙げて勝利に貢献するものの、コヴァチェヴィッチの存在もあって出場機会が限られました。冬の市場でレンタルされたベンフィカでは12試合で8得点と役割を果たしました。
02/03シーズンにポルトへ移籍。エースのデルレイやE・ポスティガと競争して9得点をマークするなど国内3冠に貢献しました。2年目は南アフリカ代表マッカーシーの加入で控えとなりますが、リトアニア人初の欧州制覇を経験して5度目の国内MVPに選ばれました。
ニースへのレンタルを経て入団したハーツではハイバーニアン戦でレッドを受けますが、同胞ロマノフ監督の下でチャンピオンズ・リーグ出場権を獲り、国内カップを制しました。
以降はコンディション不良で満足に試合に出られない状態が続き、11/12シーズンを最後に引退。その後はL・モスクワやハーツのコーチ、母国代表監督になっています。

1991年11月15日、バルティック杯エストニア戦にて16歳248日の若さで代表デビューしますが、その後4年のブランクがありました。W杯は通算23試合5得点、欧州選手権は17試合1得点といずれも4大会の予選に召集される息の長い働きを見せました。
代表記録 56試合10得点

※:エドガラス・ヤンカウスカス(Edgaras JANKAUSKAS)
2017年7月7日:新規アップ