エミリオ・イサギーレ(Emilio IZAGUIRRE)
フルネーム エミリオ・アルトゥーロ・イサギーレ・ヒロン
国籍 ホンジュラス  
出身地 テグシガルパ
生年月日 1986・5・10
身長 173cm
体重 67kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2007・2・9
コスタリカ戦※
代表背番号 7 21
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 10/11スコットランドリーグベストイレブン(PFA)
11スコットランド年間最優秀選手(PFA)
11スコットランド年間最優秀選手(SFWA)
チームタイトル 06/07ホンジュラスリーグ
07UNCAFコパ・インテルクルベス
10/11,12/13,16/17スコットランドカップ
11/12〜16/17スコットランドリーグ
14/15,16/17スコットランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 モタグア    
05/06 モタグア    
06/07 モタグア    
07/08 モタグア 25
08/09 モタグア 16
09/10 モタグア 25
10/11 セルティック(スコットランド) 3 33
11/12 セルティック(スコットランド) 3 12
12/13 セルティック(スコットランド) 3 32
13/14 セルティック(スコットランド) 3 34
14/15 セルティック(スコットランド) 3 35
15/16 セルティック(スコットランド) 3 17
16/17 セルティック(スコットランド) 3 12
17/18 アル・ファイハ(サウジアラビア) 24
18/19 セルティック(スコットランド) 3 14
19/20 セルティック(スコットランド) 3    
瞬間的なスピードで縦に抜ける果敢なドリブルやオーバーラップから鋭いクロスを上げるホンジュラス代表。前後問わず対応する左サイドのスペシャリストです。

17歳の時にモタグアでプロデビューします。リーグと国際タイトルを相次いで獲得し、鎖骨を痛めて戦列を離れていた中でも国内メディアから高評価を受けました。
2008年にはイプスウィッチのトライアルを受けるものの不合格となり、トロンと共契約合意に至らなかったものの、2010年W杯の後でセルティックと4年契約を結びます。
2010年8月29日、開幕マザーウェル戦でのスコットランドリーグデビューをクリーンシートで飾り、10月30日S・ジョンストン戦では初得点をマークします。オールドファーム・ダービーとなったリーグ杯決勝では退場になりましたが、続くリーグ戦では先制点を生みだすなど1年目から33試合に出場し、2011年の国内における個人タイトルを総なめにしました。
2年目はアバディーンとの第2節で足首を負傷して手術を受け、約4ヶ月戦列を離れました。12月に復帰すると、マルグルーやコモンズ、ナイジェリア代表CBアンブローズらと再びチームのかなめとなり、3年目は7アシスト、4年目は9アシストをマーク。6年目まで宿敵レンジャーズが2部であり事実上1強の状態で、着実にリーグのトロフィーを手にします。チャンピオンズ・リーグは3年目、ヨーロッパリーグは5年目のベスト16が最高成績となりました。
その後サウジアラビアへ移籍しますが、1年でセルティックに復帰しています。

2005年Wユースに2試合出場。チリ戦でM・フェルナンデスなどに7失点、スペイン戦でシルバなどに3失点して連敗。フル代表デビューは2年後の2月9日コスタリカ戦でした。
2010年W杯予選では11試合に出場して母国28年ぶりの出場に貢献しますが、2試合ピッチに立った本戦では優勝するスペインとチリの前にグループリーグで終わりました。
2014年W杯予選も14試合に出て2大会連続の出場権を手にしますが、2試合に出た本大会ではフランス戦でW・パラシオスが退場、守備に追われて持ち味の攻撃力を発揮できず、是が非でも勝ちたいエクアドルに負けたことで3戦目を回避しました。
2018年W杯予選は12試合プレーします。T・トバゴ戦ではアウェー戦で点を取りますが、ホーム戦でレッドを受けました。また、アメリカやメキシコに惨敗してオーストラリアとの大陸間プレーオフに臨みますが、1分1敗で敗退しました。
代表記録

※:2007年1月27日デンマーク戦の説もあり
2014年11月14日:新規アップ 2019年6月22日更新