石川 直宏(Naohiro ISHIKAWA)
フルネーム 石川 直宏(イシカワ ナオヒロ)
国籍 日本 石川直
出身地
生年月日 1981・5・12
身長 175cm
体重 68kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・12・7
香港戦
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム ナオ
個人タイトル 03Jリーグフェアプレー個人賞
09Jリーグベストイレブン
チームタイトル 00ファーストステージ
01,09ナビスコカップ
11天皇杯
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00 横浜F・マリノス 28
01 横浜F・マリノス 18 13
02 横浜F・マリノス 18
02 FC東京 36 19
03 FC東京 18 29
04 FC東京 18 17
05 FC東京 18 23
06 FC東京 18 20
07 FC東京 18 27
08 FC東京 18 21
09 FC東京 18 24 15
10 FC東京 18 31
11 FC東京(J2) 18 23
12 FC東京 18 28
13 FC東京 18 21
14 FC東京 18
15 FC東京 18 10
16 FC東京U−23(J3)
17 FC東京U−23(J3)
Jリーグには稀有な存在の純粋な右WG。スピードに乗った切れ味鋭い縦へのドリブル突破、カットインからのミドル、高精度のクロスなどで局面を打開します。
丁寧なファンサービスを信条としており、クラブでトップクラスの人気を誇ります。

神奈川県横須賀市に生まれ、幼稚園時代からボールを蹴りはじめます。中学から日産ジュニアユース追浜(現横浜FMジュニアユース)に加入、そのままユースに昇格しました。
ユースでは当初トップ下でプレーしていましたが、サイドにコンバートされました。高校3年時にトップへの昇格が決まったものの、ヒザの半月板を手術しました。
アルディレス監督から評価されて2000年4月1日鹿島戦でJリーグにデビューしますが、ヘルニアを発症して再び戦線離脱し、結局わずか2試合の出場にとどまります。
01シーズンの1stステージG大阪戦で初ゴールを挙げますが、チームは低迷しました。ラザロニ監督と相性が合わず、出場機会を求めて02シーズンにFC東京へレンタル移籍します。
時を同じくしてFC東京に就任した原監督は、自身が出場したユース代表の試合で解説を務めた時に才能を認めていたこともあり、レギュラーに定着します。同時に加入した右SB加地と共にサイド攻撃を活性化させ、監督が標榜する攻撃的サッカーを体現する存在となります。03シーズンに完全移籍すると、自己最多の29試合に出場し、フェアプレー個人賞を受賞しました。
04シーズンはリーグ戦こそ精彩を欠いたものの、オールスターに初出場し、ゴールを挙げてMVPに選ばれました。また、2度目のナビスコ杯を獲得しました。
05シーズン、8月にはイタリアのクラブからオファーを受けるもチーム事情を考慮して日本に残ります。9月17日横浜FM戦で右ヒザ前十字じん帯と外側半月板を損傷しました。
06シーズンの7月に復帰し、自己最多タイの5ゴールをマークします。09シーズンは自身初のハットトリックを見せるなど、MFながら得点王を争う自己最高のシーズンを送ります。10月にヒザのケガで離脱しましたが、この活躍で初めてベストイレブンに選ばれました。
10シーズンは30試合以上出場しましたが、ケガの影響でベストコンディションになれなかったこともあって降格の一因となりました。しかし即座にJ1復帰を果たし、天皇杯でも準々決勝で浦和からゴールを奪って史上初のJ2同士での決勝を制しました。
その後はケガが頻発し、17シーズンを最後に現役生活を終えました。
J1:289試合49得点 J2:23試合3得点 J3:3試合

U−19から代表に招集され、アジアユースで準優勝になりました。続く2001年Wユースにはレギュラーとして全3試合に出場しますが、グループリーグ敗退となりました。U−21になると、釜山で開催された2002年アジア大会に出場して準優勝になりました。
2003年12月7日、東アジア選手権の香港戦でフル代表にデビューしましたが、アテネ五輪代表に合流して出場権を獲得します。しかし本大会では出番に恵まれず最終戦のガーナ戦のみの出場に終わり、試合終了後に悔し涙を流しました。
縦への突破力に乏しい代表において復帰が期待される選手の一人でしたが、09シーズンの活躍によって約5年半ぶりに代表復帰を果たします。翌年のW杯はバックアップメンバーにとどまりますが、その後のザッケローニ体制でも招集されました。
代表記録 6試合

※:神奈川県横須賀市
2009年10月14日:新規アップ 2017年12月5日更新