イスコ(ISCO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | フランシスコ・ロマン・アラルコン | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | スペイン | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ベナルマデナ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1992・4・21 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 176cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 74kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2013・2・6 ウルグアイ戦 |
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代表背番号 | 22 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 18年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 12リーガ・エスパニョーラ最優秀若手選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
12ゴールデンボーイ(トゥット・スポルト誌) | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 13UEFAU−21欧州選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||
13/14コパ・デル・レイ | |||||||||||||||||||||||||||||
14,16〜18UEFAチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
14,16〜18FIFAクラブワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
16/17リーガ・エスパニョーラ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 バレンシア・メスタージャ(3部) | 26 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 バレンシア・メスタージャ(4部) | 26 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 バレンシア 26 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 マラガ 22 | 32 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 マラガ 22 | 37 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 レアル・マドリー 23 | 32 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 レアル・マドリー 23 | 34 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 レアル・マドリー 22 | 31 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 レアル・マドリー 22 | 30 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 レアル・マドリー 22 | 30 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 レアル・マドリー 22 | 27 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 レアル・マドリー 22 | |||||||||||||||||||||||||||||
素早い判断、豊かな創造性、傑出した技巧を擁し、柔らかいステップでのドリブルや効果的なパスで相手の守備を切り崩します。また、正確なFKも大きな武器です。 フランシスコ・ロマン・アラルコンことイスコはマラガ県のベナルマデナに生まれ、5歳で地元のPDMというクラブに入ります。2年後にA・ベナミエルに移って10年過ごしました。その後バレンシアの下部組織に移り、09/10シーズンに26試合と頭角を現します。 10/11シーズンは4部相当で15得点を決める一方、トップでは11月11日の国内杯ログロニェス戦で2得点と才能の片りんを見せます。リーガには3日後のヘタフェ戦でデビューしますが、絶対的なマタの前にベンチスタートでのプレーに甘んじました。 11/12シーズンに故郷マラガへ移籍した時は議論を呼びましたが、カソルラやS・ロンドン、S・フェルナンデスと共にペジェグリーニ監督の戦術を体現、レッド2枚と若さも見せますが、5得点4アシストでクラブ初のチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。 12/13シーズンはカソルラやロンドンが抜けましたが、ホアキン、サンタクルス、サビオラと経験と実績を兼ね備えたベテランと攻撃陣を形成、古巣バレンシア戦や本拠R・マドリー戦、マジョルカ戦からの3連続得点などで6位になりました(クラブの税務局への債務不払いにより、ヨーロッパリーグ出場権をはく奪されました)。チャンピオンズ・リーグではゼニトやポルトといった常連からの3得点などベスト8進出に貢献し、目覚ましい働きを見せたのです。 13/14シーズンにR・マドリーと5年契約します。ベティスとの開幕戦など3度の1得点1アシストやA・ビルバオ戦の2得点など8得点6アシスト。チャンピオンズ・リーグもドルトムント戦など3得点1アシストでビッグイヤーを獲得して退団したエジルの穴を埋めます。 C・ロナウド、ベンゼマ、ベイルの3トップと連携し、2年目も4得点9アシスト、3年目も3得点7アシスト、4年目も10得点8アシストと安定した働きを見せます。チャンピオンズ・リーグでも4年目にA・マドリーとの準決勝でアウェーでの得点を挙げる勝負強さを見せました。 5年目はエスパニョール戦やマラガ相手に一人で試合を決めるなど7得点7アシスト。チャンピオンズ・リーグでもユヴェントスとの準々決勝1stレグで先制アシストするなど、ディ・ステファノらを擁した1950年代以来の3連覇を果たしました。 6年目の序盤はソラーリ監督の下で控えに降格します。その後成績不振でジダン監督に交代した初戦から2試合連続で得点を挙げています。 2009年のU−17欧州選手権は3試合出場。W杯は6試合戦い、3位決定戦の決勝点など3得点を挙げました。2年後のU−20W杯は4試合1得点でベスト8になりました。 マタやJ・マルティネス、J・アルバらと共に臨んだロンドン五輪は日本との初戦を落としたことが響き、まさかのグループリーグ敗退となりました。 2013年2月6日ウルグアイ戦でのフル代表デビューを経て、4ヶ月後のU−21欧州選手権ではオランダ戦から決勝イタリア戦まで3連発し、コケやチアゴ・Aらと共に優勝しました。2016年欧州選手権予選は6試合に出ますが、本戦メンバーから漏れました。 2018年W杯予選はイタリア戦でFKと左足ミドルを決めて勝つなど、9試合5得点2アシストと主軸として出場権獲得に貢献します。その後のアルゼンチン戦でもハットトリックを決めるなど好調を維持していましたが、本戦を前に監督が変わって4試合でモロッコ戦の1得点に終わり、チームもホストのロシアにR16で敗れています。 代表記録 2019年3月13日:新規アップ 2019年9月27日更新 |