フルネーム セルゲイ・ニコライェヴィッチ・イグナシェヴィッチ
国籍 ロシア  
出身地 モスクワ
生年月日 1979・7・14
身長 186cm
体重 82kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2002・8・21
スウェーデン戦
代表背番号
W杯メンバー 14年 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 01,05,06,08,09,12/13ロシアカップ
02,05,06,12/13,13/14,15/16ロシアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 パトリオット・モスクワ    
99 スパルタク・オレコヴォ=ズエヴォ(2部) 17
99 クリリヤ・ソヴェトフ 15
00 クリリヤ・ソヴェトフ 15 25
01 ロコモティフ・モスクワ 5 23
02 ロコモティフ・モスクワ 5 28
03 ロコモティフ・モスクワ 5 24
04 CSKAモスクワ 4 22
05 CSKAモスクワ 4 22
06 CSKAモスクワ 4 26
07 CSKAモスクワ 4 26
08 CSKAモスクワ 4 28
09 CSKAモスクワ 4 29
10 CSKAモスクワ 4 28
11/12 CSKAモスクワ 4 38
12/13 CSKAモスクワ 4 28
13/14 CSKAモスクワ 4 30
14/15 CSKAモスクワ 4 30
15/16 CSKAモスクワ 4 25
16/17 CSKAモスクワ 4 24
17/18 CSKAモスクワ 4 25
スピード不足が欠点ですが、ポジショニングやカバーリング、ライン操作が卓越しています。また、ビルドアップやプレースキックといった攻撃面でも期待できるロシア最高峰のCBです。

旧ソ連のモスクワに生まれたイグナシェヴィッチは、P・モスクワやS・オレコヴォといったクラブを経てK・ソヴェトフにてプロキャリアをスタートさせます。
2年目に25試合とレギュラー定着に成功し、L・モスクワに引き抜かれます。そして国内は1年目にカップ2年目はリーグと立て続けにタイトルを獲得しました。
チャンピオンズ・リーグは、01/02シーズンの予選でチロルから得点を決めてグループリーグに進みましたが、R・マドリーとローマに敗北。02/03シーズンも予選でグラーツァから点を取り、バルサに次ぐ1次リーグ2位通過を果たしますが、2次リーグはミラン、R・マドリー、ドルトムントの前に勝ち点1と完膚無き敗退となりました。03/04シーズンも予選でシャフタール、本大会でもD・キエフとウクライナ勢から得点を挙げ、2位でグループリーグを通過しました。
自身は決勝トーナメントを戦うことなくC・モスクワにフリーで移籍します。ここで合流したGKアキンフェエフ、ベレズツキ兄弟との守備はクラブと代表双方で一時代を築くことになります。
1年目はチャンピオンズ・リーグこそチェルシーやポルトに力負けしましたが、UEFA杯(現ヨーロッパリーグ)で10試合に出場、ベンフィカ戦とオセール戦で得点を挙げるなど、ロシア勢初のヨーロッパタイトルに貢献します。そして05,06と2年連続でダブルを達成しました。
08/09シーズンは10試合戦ったUEFA杯決勝トーナメント2回戦でシャフタールに、翌シーズンは9試合戦ったチャンピオンズ・リーグ準々決勝でインテルといずれも優勝する相手に敗れました。11/12シーズンは春秋制から秋春制切り替えのため長丁場になりながらも38試合5得点、チャンピオンズ・リーグでも8試合先発してベスト16と結果を残しました。
国内リーグはルビンやゼニトの台頭がありましたが、本田やヂャゴエフ、ヴェルンブローム、R・エルムと攻守にMFの陣容が充実したこともあり、12/13シーズンに覇権をモスクワに取り戻すと、翌シーズンもタイトル防衛に成功しました。

2002年8月21日のスウェーデン戦で代表デビューします。2004年欧州選手権予選では10試合に先発出場し、スイス戦とアイルランド戦で計3得点と素晴らしい結果を残して母国を本大会に導きましたが、自身はヒザを負傷して離脱しました。
2006年W杯予選は7試合に出場しますが、ポルトガルに7失点するなど精彩を欠きました。2008年欧州選手権予選は10試合戦い、イングランドを敗退に追い込みました。本戦では4試合に先発出場、準決勝で優勝するスペインに敗れましたが、3位と躍進しました。
2007年8月には代表の合流に遅刻しましたが、2010年W杯予選では12試合に出場、ドイツの前にプレーオフに回り、スロヴェニアに許した1stレグでのアウェーゴールに泣きました。
2012年欧州選手権予選は9試合プレー。本番2ヶ月前にはクラブの練習で足の指を骨折しますが、本番に間に合いました。初戦ではチェコを4−1で退ける最高のスタートを切ったものの、ホストのポーランドと引き分け、ギリシャに敗れて3位で敗退しました。
2014年W杯予選は9試合に出場、ポルトガルを制して1位で通過。初のW杯は3試合に出ますが、韓国戦での取りこぼしが響きグループリーグで敗退しました。2016年欧州選手権予選は9試合に出場。本大会は3試合に出場するも6失点しグループリーグで終わりました。
一度は代表を離れますが、後進の相次ぐケガにより復帰します。自国開催となる2018年W杯は5試合に出場、PK戦となったスペインとのR16、クロアチアとの準々決勝でキックを成功させるなど、代表最多出場を125試合に更新して引退しました。
代表記録 125試合8得点

※:セルゲイ・イグナシェヴィッチ(Sergei IGNASHEVICH)
2015年1月4日:新規アップ 2018年7月21日更新