家長 昭博(Akihiro IENAGA)
フルネーム 家長 昭博(イエナガ アキヒロ)
国籍 日本 家長
出身地 兵庫県長岡京市
生年月日 1986・6・13
身長 173cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・3・24
ペルー戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム アキ
個人タイトル  
チームタイトル 05Jリーグ
08ナビスコカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04 ガンバ大阪(ユース登録) 28
05 ガンバ大阪 14 24
06 ガンバ大阪 14 28
07 ガンバ大阪 8 27
08 大分トリニータ 14
09 大分トリニータ 14 26
10 セレッソ大阪 14 31
10/11 マジョルカ(スペイン) 14 14
11/12 マジョルカ(スペイン) 14
12 蔚山現代(韓国) 28
12 ガンバ大阪 41 12
13 ガンバ大阪(J2) 41 17
13/14 マジョルカ(スペイン) 14
14 大宮アルディージャ 41 33
15 大宮アルディージャ(J2) 41 33 11
16 大宮アルディージャ 41 26 11
17 川崎フロンターレ    
ボールキープ、独特のリズムでのドリブル突破、クロスと高水準の技術を誇る天才肌のレフティ。安定感や守備意識に改善の余地があります。

小学2年の時に友達の影響でサッカーをはじめます。中学時代はG大阪ジュニアユースに所属。同日に生まれた本田圭佑と出会って切磋琢磨しました。3年次にはキャプテンに就任し、クラブユース選手権と全日本ユースでベスト8という成績を残しました。
当時からその力は抜きんでており、ユースにも難なく昇格。高校3年次にはトップチームに加わり、2004年6月26日新潟戦で初出場をスタメンで飾り、初ゴールも挙げてみせたのです。
卒業を待たずしてプロ契約を結び、途中出場が多いながらもプレー機会を得ていきました。そして05シーズンはクラブ初のリーグ制覇に貢献しました。07シーズンは西野監督にアルゼンチン代表メッシと比べられるほどのポテンシャルを発揮すべく、右サイドでもプレーしました。
08シーズンに数多くのオファーの中から大分を選びレンタル移籍しますが、2月8日に前十字じん帯を損傷し、自己最少の4試合の出場に終わりました。その後はイングランドの下部プリマスの練習に参加しますが、最終的には大分とのレンタル契約を延長しました。
26試合に出場して金崎らと共に攻撃陣を引っ張りますが、チームはJ2に降格。入れ替わりでJ1に昇格したC大阪にレンタル移籍します。香川や乾と共にチームをけん引、チーム最多の9アシストを挙げてクラブ史上最高のリーグ3位に導き、ACL出場権獲得に貢献しました。
10シーズン終了後にマジョルカへ移籍し、2011年2月5日オサスナ戦でリーガデビュー。控えとしての役割が大半でしたが、デンマークの英雄M・ラウドルップ監督の薫陶を受けて本拠セビージャ戦で初ゴールを決めました。2年目のシーズン途中にKリーグへレンタル移籍するも持ち味を出せず、5年ぶりにG大阪に復帰します。リーグ後半戦で計12試合5ゴールと苦境の中奮闘するものの、磐田との最終節は仕事ができず、クラブ初の降格となりました。
その後レンタル期間が延長され、初めてJ2に挑みます。1ゴールに終わりましたが、クラブは1年でJ1に戻りました。その後大宮に完全移籍し、在籍1年目ながら腕章を託され自己最高の成績を残しますが、クラブが05シーズン昇格以来守ってきたJ1の座から陥落しました。そしてチームに残って挑んだ2度目のJ2では5試合連続ゴールなど、19ゴールのムルジャと共に役割を果たし、クラブを1年でJ1に戻しました。16シーズンは仙台戦でレッドを受けますが、川崎F戦の2ゴールなどJ1で自己最多の11ゴールを挙げ、クラブ史上最高の5位に貢献しました。
17シーズンに川崎Fへ移籍しています。

U−15以来各年代の代表に選ばれ、2005年Wユースでは全4試合にスタメン出場。ゴールこそなかったものの、そのプレーは大熊監督から「世界に通用する」と高い評価を受けました。しかしその後はケガの影響もあって北京五輪の出場はなりませんでした。
ユース代表の主軸を担う一方、オシム監督からフル代表にも召集され、2007年3月24日ペルー戦にてデビューを果たしています。
代表記録

余談
・スペインでのユニフォームネームは「アキ」です。
2011年3月29日:新規アップ 2017年1月5日更新