イバン・カンポ(Ivan CAMPO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | イバン・カンポ・ラモス | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | スペイン | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1974・2・21 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 185cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 81kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1998・3・25 スウェーデン戦 |
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代表背番号 | 14 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 99/00,01/02UEFAチャンピオンズ・リーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
00/01リーガ・エスパニョーラ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 アラベス | 11 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 アラベス | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 アラベス | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 バジャドリー | 24 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 バレンシア | 7 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 マジョルカ 12 | 33 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 レアル・マドリー 12 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 レアル・マドリー 12 | 20 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 レアル・マドリー 12 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 レアル・マドリー 12 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ボルトン(イングランド) 16 | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ボルトン(イングランド) 16 | 38 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ボルトン(イングランド) 16 | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ボルトン(イングランド) 8 | 15 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ボルトン(イングランド) 8 | 34 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ボルトン(イングランド) 8 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 イプスウィッチ(イングランド2部) | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 AEKラルナカ(キプロス2部) | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
恵まれた身体能力を活かしたコンタクト、特に空中戦や激しいスライディングタックルが持ち味です。プレーは攻撃的で低い位置からドリブルを試みることもありますが、一方好不調の波が激しく致命的なミスを犯すこともあります。独特な風貌で異彩を放ちます。 93/94シーズンからアラベスでキャリアを始めます。3シーズン過ごした後バレンシアへ24億円で入団ましたが、7試合の出場にとどまりマジョルカへ放出されます。ここでクーペル監督の期待に応えて33試合とレギュラーとして活躍し、UEFA杯出場権を獲得しました。 そして98/99シーズンにR・マドリーへ移籍し、年齢的な不安を抱えるイエロやサンチスのバックアップとしての役割を果たします。バレンシアとの同国対決となった99/00シーズンのチャンピオンズ・リーグ決勝はスタメンでフル出場し、自身初タイトルを獲得しました。 しかし、パボンの台頭やI・エルゲラのコンバートなどがあり徐々に出場機会が減りました。また、CBでありながら無用な攻めあがりを見せたり、ミスが目立つようになったりするなど注意力の散漫なプレーにサポーターから批判が続出します。やがてホームゲームでもブーイングを受けるようになり、ビッグクラブ特有のプレッシャーも重なって精神病を患いました。 チームメートだったマクマナマンの勧めで、2002年8月に移籍金ゼロでイングランドのボルトンへ。9月11日マンチェスター・U戦でプレミアにデビューすると、3日後のリヴァプール戦で早くも初ゴールを挙げます。優れた人心掌握術でベテランを蘇生してきたアラダイス監督の意向により加入当初のCBからボランチへコンバートされると、鋭いタックルで相手の攻撃の芽をつぶして前線へボールを送るフィルター役として機能します。そしてスペイン時代にはなかった安定感を見せ、加入以来コンスタントにゲームに出場。チームに不可欠となってレギュラーの地位を確立させ、スペイン人選手の中でもイングランドで成功する数少ない存在となりました。 04/05シーズンは、かつてR・マドリーでプレーしたイエロやJ・セザールと再び同じピッチに立ち、翌シーズンは中田英ともプレーしました。 08/09シーズンにクラブとの契約が解消されイプスウィッチに移籍します。しかし1年の在籍に終わり、キプロスでのプレーを最後に引退しました。 1998年3月25日スウェーデン戦で代表デビュー。直後のW杯メンバーに入ってナイジェリア戦にスタメン出場しますが、オリセーの強烈なミドルシュートにより敗れました。パラグアイと引き分けてブルガリアに勝ちましたが、グループリーグ突破はなりませんでした。 代表記録 4試合 ※:サン・セバスティアン 2006年5月11日:新規アップ 2012年9月16日更新 |