フッキ(HULK)
フルネーム ジヴァニウド・ヴィエイラ・デ・ソウザ
国籍 ブラジル
出身地 カンピナグランデ
生年月日 1986・7・25
身長 178cm
体重 76kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2009・11・14
イングランド戦
代表背番号 7 19
W杯メンバー 14年
ニックネーム フッキ
個人タイトル 10/11,11/12ポルトガルリーグ年間最優秀選手
10/11ポルトガルリーグ得点王
14/15ロシアリーグ得点王
チームタイトル 08/09,10/11,11/12ポルトガルリーグ
08/09〜10/11ポルトガルカップ
10/11UEFAヨーロッパリーグ
12ロンドンオリンピック銀メダル
13FIFAコンフェデレーションズ・カップ
14/15ロシアリーグ
15/16ロシアカップ
18中国リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05 ヴィトーリア(2部)
05 川崎フロンターレ(日本) 19
06 コンサドーレ札幌(日本J2) 10 38 25
07 東京ヴェルディ(日本J2) 9 42 37
08 川崎フロンターレ(日本) 11
08 東京ヴェルディ(日本) 9 11
08/09 ポルト(ポルトガル) 12 25
09/10 ポルト(ポルトガル) 12 19
10/11 ポルト(ポルトガル) 12 26 23
11/12 ポルト(ポルトガル) 12 26 16
12/13 ポルト(ポルトガル) 12
12/13 ゼニト(ロシア) 29 18
13/14 ゼニト(ロシア) 7 24 17
14/15 ゼニト(ロシア) 7 28 15
15/16 ゼニト(ロシア) 7 27 17
16 上海上港(中国) 10
17 上海上港(中国) 10 27 17
18 上海上港(中国) 10 25 13
19 上海上港(中国) 10    
上背はなくとも強靭な肉体にものを言わせたドリブル突破から冷静に切り返し、力強いシュートを放ちます。他にはFKや前線からのプレスがセールスポイントです。。

ブラジル北東パライバ州カンピナグランデ生まれ。幼少時からボールに親しみ、ポルトガルのクラブの下部組織に所属した後、16歳でヴィトーリアとプロ契約します。
2005年にJリーグ川崎に入団します。まだ10代の若さでしたが、ジュニーニョら同じブラジル人プレーヤーが多く在籍していたこともあり、時間をかけずに環境になじみます。4月17日名古屋戦でJリーグにデビューし、7月2日磐田戦で初ゴールを記録しました。
翌シーズンはJ2札幌へレンタルされます。そしてリーグ最多211本のシュートを放ち、9月23日湘南戦の4ゴールなどランク2位の25ゴールを挙げました。
07シーズンはJ2東京Vに引き抜かれます。ここでも同胞のMFディエゴとのコンビでゴールを量産、37ゴールで得点王に輝き、チームを3年ぶりにJ1へ導きました。
満を持して3年ぶりに川崎へ復帰。ジュニーニョや北朝鮮代表チョン・テセとのトライアングルは、タイトルを狙うチームにおいて首脳陣やサポーターから大きな期待を集めます。しかし関塚監督と起用法をめぐり対立し、わずか2試合で退団しました。その後すぐに東京Vに復帰して7ゴールと役割を果たしますが、11試合を終えて3年過ごした日本を後にしました。
ポルトに入団すると、ベレネンスとのリーグデビュー戦で初ゴールを挙げるなど25試合で8ゴールを挙げ、L・ロペスやC・ロドリゲスらと共にリーグ制覇を経験しました。
09/10シーズンはチャンピオンズ・リーグで3ゴールを挙げてグループリーグを突破します。しかし12月20日の国内リーグ、ベンフィカ戦で警備員に暴行を働き、その活躍を自ら貶めました。3年目は開幕から名前のごとき破壊力で得点王になってリーグMVPに輝き、2年ぶりのリーグ制覇に国内カップ3連覇、5ゴールを挙げたヨーロッパリーグの3冠を達成するキャリア最高のシーズンを送り、クラブの会長からC・ロナウド以上の存在価値を示されました。
4年目はカルドーソとリマの前に4ゴール及ばず得点王を逃しましたが、ベンフィカ、スポルティング、ブラガと上位との試合で役割を果たします。また、主将としてチームをまとめるなど選手としてのスケールを上げて2年連続でリーグMVPに選ばれました。5年目も2試合連続ゴールと好スタートを切りましたが、巨額でゼニトに引き抜かれます。
2012年9月14日T・グロズニー戦でリーグデビューし、終盤のアラニア戦でハットトリックしました。チャンピオンズ・リーグではミラン相手に1ゴール1アシストするものの、3失点しました。ヨーロッパリーグではリヴァプールとの2戦で連発しました。
2年目は4連続ゴールや本拠クラスノダール戦のハットトリックなど17ゴールを挙げます。チャンピオンズ・リーグではドルトムントに連発も、チームは連敗しました。
3年目は得点王になって3年ぶりに賜杯をモスクワから奪還。4年目は3度の1試合2ゴールなど17ゴールを挙げるも3位でした。チャンピオンズ・リーグでバレンシア戦など5ゴールで16強になり、国内カップ決勝でもC・モスクワからPKを2本決めて優勝しました。
16シーズンに中国へ渡り、7月10日河南建業戦で1部リーグデビュー。この試合でいきなりゴールを決めるなど7試合で5発と決定力を発揮。同胞オスカルが入った2年目はリーグ戦で4連続と6連続、ACLでは6試合連続ゴールと量産しました。

チャンピオンズ・リーグでの活躍がドゥンガ監督の目に留まり、2009年11月14日イングランド戦でフル代表デビュー。CFではなく右WGでのプレーが多くなります。
メネーゼス監督によりT・シウヴァ、マルセロと共にオーバーエージとしてロンドン五輪で5試合に出場。決勝メキシコ戦では途中出場から反撃ののろしを上げるゴールを決めるも遅きに失し、母国祈願の金メダル獲得はなりませんでした。
2013年コンフェデ杯はレギュラーとして5試合に出場。自らネットを揺らす場面はありませんでしたが、ハードワークで味方のチャンスを呼び込み優勝しました。翌年のW杯では6試合に出場。フレッヂと共に献身的なプレーでネイマールの攻撃力を引き出しました。
2016年コパ・アメリカは1試合に終わっています。
代表記録

余談
・「フッキ」という愛称は漫画「超人ハルク」のキャラクターであり、愛読していたことから父親によって幼少時に名づけられました。
2010年3月29日:新規アップ 2019年10月12日更新