堀之内 聖(Satoshi HORINOUCHI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 堀之内 聖(ホリノウチ サトシ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 埼玉県さいたま市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1979・10・26 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 72kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ホリ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 03ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
04セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
05,06天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
06Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
07AFCチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
02 浦和レッズ 29 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 浦和レッズ 20 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 浦和レッズ 20 | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05 浦和レッズ 20 | 23 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
06 浦和レッズ 20 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07 浦和レッズ 20 | 19 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
08 浦和レッズ 20 | 28 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 浦和レッズ 20 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 浦和レッズ 20 | 20 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
11 浦和レッズ 20 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12 横浜FC(J2) 24 | 22 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13 モンテディオ山形(J2) 5 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
身体的に恵まれていませんが、鋭い読みと的確なポジショニングで危険の芽を摘むクレバーさが持ち味。セットプレー時にヘディングシュートを決める場面もあります。 幼稚園で本格的にサッカーを始め、小学校ではストライカーとしてプレー。浦和市立高校から東京学芸大を経て、2001年に浦和に入団しますが、出場機会が全くありませんでした。 03シーズン1stステージ9節のG大阪戦でJリーグデビュー。05シーズンに守備陣に負傷者が相次いだため出場機会が巡り、自己最多の23試合に出場。第4節のG大阪戦では公式戦初ゴールもマークしました。天皇杯決勝では闘莉王が欠場したため、3バックの中央に入って先制のヘディングシュートを決め、チームの天皇杯制覇に貢献しました。 ブッフバルト監督から信頼を勝ち取ってレギュラーに定着し、闘莉王や坪井と共に最終ラインに安定感をもたらしますが、ケガで離脱して初優勝をベンチで見届けることになりました。 地元出身だけに期待と注目を集めたものの、毎年の大型補強で絶対的な立場を得られず、11シーズンは出番なしに終わりました。これにより横浜FCへ新天地を求めますが、13シーズンに山形のオファーに応えます。そして30試合に出場し、熊本戦では決勝点、群馬戦でも自らのゴールでチームを敗戦から救いますが、10位とJ1昇格には届きませんでした。 そして34歳で現役を退き、チームスタッフとして浦和に戻っています。 2006年4月30日:新規アップ 2014年1月26日更新 |