ブレット・ホルマン(Brett HOLMAN)
フルネーム ブレット・トレバー・ホルマン
国籍 オーストラリア
出身地 バンクスタウン
生年月日 1984・3・27
身長 176cm
体重 75kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2006・2・22
バーレーン戦
代表背番号 14
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 08/09エールディヴィジ
14/15UAEカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 パラマッタ・パワー 11
01/02 パラマッタ・パワー 12
01/02 フェイエノールト(オランダ)
02/03 エクセルシオール(オランダ) 29
03/04 エクセルシオール(オランダ) 34
04/05 エクセルシオール(オランダ2部) 33 13
05/06 エクセルシオール(オランダ2部) 37 14
06/07 NEC(オランダ) 19 32
07/08 NEC(オランダ) 19 27
08/09 AZ(オランダ) 27 15
09/10 AZ(オランダ) 27 23
10/11 AZ(オランダ) 27 26
11/12 AZ(オランダ) 27 30
12/13 アストン・ヴィラ(イングランド) 14 27
13/14 アル・ナスル(UAE) 8 26
14/15 アル・ナスル(UAE) 8 24
15/16 アル・エミレーツ(UAE) 8 20
16/17 ブリスベン・ロアー 10 19
17/18 ブリスベン・ロアー 10 17
18/19 ブリスベン・ロアー 10    
19/20 ブリスベン・ロアー 10    
攻撃的なポジションをすべてこなし、前線からのハードワークも怠らないエネルギーと機動力を持つオーストラリア代表アタッカーです。

パラマッタ・パワーで頭角を現してフェイエノールトに引き抜かれますが、出場機会に恵まれず、エクセルシオールへレンタル移籍します。
2002年8月17日PSV戦でオランダリーグに先発でデビューしますが、モロッコ代表エル・ハムダウィの存在によりスーパーサブとなり、所有権を持つフェイエノールト戦など6点を挙げます。2年目は新加入のS・カルーとの共存で6得点を挙げますが、チームは降格しました。
自身はチームに残り得点源として結果を残し、1部NECへ。フェイエノールトから再び点を取り、終盤にはPSVから1試合2得点。2年目も6点とまずまずの結果を残します。
08/09シーズンにAZへ。エル・ハムダウィらと共に国内リーグを制しますが、ファン・ハール監督の下ではケガもあってポジションを確保できませんでした。その後R・クーマン監督からアドフォカートと監督交代があり、チャンピオンズ・リーグこそ6試合無得点と精彩を欠きますが、リーグでは5点と盛り返しました。11/12シーズンのヨーロッパリーグでも12試合戦い、ラウンド16ではバレンシアとの1stレグで1得点1アシストを見せますが、2ndレグで敗れました。
12/13シーズンにアストン・ヴィラへ移籍します。リーグのノーリッジ戦ではベンテケの先制点を演出し、自身はリーグ杯でランバート監督の古巣に得点を挙げました。しかしヴァイマン、エヌゾグビア、アグボンラホルと攻撃の駒が多く、レギュラー獲得には至りませんでした。
その後アル・ナスルに移籍し、2013年9月14日アル・ワフダ戦でUAEリーグにデビュー。以来コンスタントな働きを見せ、3年間で70試合13得点の成績を残しました。
ブリスベンではリーグ戦で5得点、ACLでも鹿島から決勝点を挙げました。

2001年のU−17世界選手権で4試合、2004のアテネ五輪は4試合でベスト8の成績を残し、2006年2月22日バーレーン戦にてフル代表デビュー。2010年W杯予選ではスーパーサブとして12試合、本戦でも3試合戦い、ガーナとセルビアから点を奪いました。
2011年アジア杯ではインド戦で点を取るなど6試合先発しますが、日本の前に準優勝に終わりました。2014年W杯予選ではオマーン戦での得点でチームを敗戦から救うなど11試合で3得点を挙げましたが、終了後に引退しました。
代表記録

2013年6月4日:新規アップ 2019年6月28日更新