ホセ・ホレバス(Jose HOLEBAS)
フルネーム ホセ・ルロイド・ホレバス
国籍 ギリシャ  
出身地
生年月日 1984・6・27
身長 184cm
体重 79kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 2011・11・11
ロシア戦
代表背番号 20
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 10/11〜13/14ギリシャリーグ
11/12,12/13ギリシャカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06/07 1860ミュンヘンU(ドイツ3部) 32 12
07/08 1860ミュンヘンU(ドイツ3部) 11
07/08 1860ミュンヘン(ドイツ2部) 14 19
08/09 1860ミュンヘン(ドイツ2部) 14 24
09/10 1860ミュンヘン(ドイツ2部) 14 31
10/11 オリンピアコス 20 24
11/12 オリンピアコス 20 23
12/13 オリンピアコス 20 28
13/14 オリンピアコス 20 19
14/15 ローマ(イタリア) 25 24
15/16 ワトフォード(イングランド) 25 11
16/17 ワトフォード(イングランド) 25 33
17/18 ワトフォード(イングランド) 25 28
18/19 ワトフォード(イングランド) 25 28
19/20 ワトフォード(イングランド) 25    
俊足を生かしてサイドを駆け上がり、鋭く正確なクロスで決定機を生みます。元々FWだったため攻撃性能に疑いはありませんが、その分守備が淡白なケースもあります。

ギリシャ人の父親とウルグアイ人の母親の下、ドイツのアシャッフェンブルクに生まれます。FWとしてプレーしたアマクラブを経て18歳の時に1860ミュンヘンに入ります。
下部組織ではトレーシュやベンダー兄弟、オーストリア代表バウムガルトリンガーと守備の安定により攻撃力を発揮しますが、SBに専念してFWラウとの連係に磨きをかけました。
個人としては着々と結果を積み上げましたが、ブンデスリーガへの昇格争いに縁がないまま退団。10/11シーズンにリーネン監督と共にオリンピアコスへ移り、3年契約を結びます。この恩師はヨーロッパリーグの3次予選で解任されましたが、後任のバルベルデ監督の下でもポジションを守り、AEK相手に6−0で勝った試合ではゴールを決めます。いずれもスペイン人のリエラ、R・ブラーボといった同じレフティとのコンビも確立させてリーグ優勝を達成しました。
これにより出場した2年目のチャンピオンズ・リーグではドルトムントからゴールを奪いましたが、アーセナルやマルセイユを含めた激戦区で敗退しました。4年目の同大会ではベンフィカ戦でCKからマノラスのゴールを演出し、クラブ初のグループリーグ突破を果たしました。国内でも最終的にリーグ4連覇、カップ2連覇と覇権を絶対的なものにしました。
14/15シーズンの移籍期限ぎりぎりで左SBバルザレッティが離脱したローマへ移り、9月24日パルマ戦でセリエAにデビューします。当初は同時に入ったAs・コールの控えでしたが、インテル戦でのゴールで勢いに乗りスタメンに定着して24試合に出場しました。
しかし1年で退団してワトフォードに移籍し、2015年8月8日エヴァートン戦でプレミアリーグにデビュー。2年目は14枚もイエローを受けますが、プレミア残留に成功しました。4年目はC・パレスの決勝点など3ゴール、トッテナム戦の2アシストなど計6アシストしました。

2010年にギリシャの市民権を獲得し、翌年11月11日のロシア戦でデビュー。2012年欧州選手権予選では3試合出ますが、累積警告でドイツとの準々決勝を欠場しました。
2014年W杯予選は9試合で2アシストを見せます。4試合に出場した本戦ではコロンビアの攻撃に屈しましたが、日本戦では数的不利の試合をドローに持ち込み、コートジボワール戦で終盤に勝ち越してギリシャ初の決勝トーナメント進出を果たしました。
2016年欧州選手権予選は5試合、2018年W杯予選は1試合に出ました。
代表記録

※:アシャッフェンブルク(ドイツ)
2015年2月26日:新規アップ 2019年6月30日更新