フルネーム トーマス・ヒツルスペルガー
国籍 ドイツ
出身地 ミュンヘン
生年月日 1982・4・5
身長 183cm
体重 80kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2004・10・9
イラン戦
代表背番号 15
W杯メンバー 06年
ニックネーム ハンマー
個人タイトル  
チームタイトル 06/07ブンデスリーガ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 バイエルン
00/01 アストン・ヴィラ(イングランド)
01/02 アストン・ヴィラ(イングランド) 21 12
01/02 チェスター・フィールド(イングランド3部) 34
02/03 アストン・ヴィラ(イングランド) 12 26
03/04 アストン・ヴィラ(イングランド) 12 32
04/05 アストン・ヴィラ(イングランド) 12 28
05/06 シュツットガルト 11 26
06/07 シュツットガルト 11 30
07/08 シュツットガルト 11 25
08/09 シュツットガルト 11 32
09/10 シュツットガルト 11 12
09/10 ラツィオ(イタリア) 15
10/11 ウェストハム(イングランド) 11 11
11/12 ヴォルフスブルク 10
12/13 エヴァートン(イングランド) 16
ミドルやFKとパワフルな左足で「ハンマー」の異名を持ち、攻撃の軸となる選手。中央でのプレーが得意ですが、左サイドでも前後問わず活躍できるユーティリティ性もあります。

ミュンヘンで生まれ育ち、地元バイエルンの下部組織で技術を高めていましたが、アストン・ヴィラからオファーを受けて18歳で渡英、2001年1月13日リヴァプール戦でプレミアリーグにデビューします。この試合で1年目を終え、翌シーズンにチェスターへレンタル移籍します。その2ヶ月後にアストン・ヴィラに復帰して12試合に出場し、レスター戦で初得点を挙げました。
02/03シーズンよりレギュラーに定着し、モロッコ代表ハッジやイングランドU−21代表バリーらと共に中盤を支えます。リーグではアーセナルから、リーグ杯ではリヴァプールから得点を奪いました。そしてプレミア残留に貢献し、翌シーズンは32試合3得点、アウェーのレスター戦では5−0のうち3アシストを見せるなど結果を残してチームを6位に引き上げました。
05/06シーズンにシュツットガルトにフリーで移籍し、2005年8月6日デュイスブルクとの開幕戦にてプロ7年目にしてブンデスリーガデビューを飾ります。トラパットーニ監督の下では調子を落としたものの、シーズン途中に就任したフェー監督の下で復調を遂げ、翌シーズンには30試合7得点を記録。特に最終節コットブス戦での得点は貴重なものとなり、勝ち点差2に迫っていたシャルケを振り切りクラブ15年ぶりのマイスターシャーレ獲得に貢献しました。
08/09シーズンより退団したF・メイラに代わってキャプテンとなりますが、バッべル監督にその座を追われました。翌シーズンの冬にラツィオへ移籍して2010年2月7日カターニャ戦でセリエAにデビューし、5月15日ウディネーゼとの最終節で初得点を挙げました。
契約が満了となって5年ぶりにプレミアへ戻りますが、ケガで前半戦を棒に振りました。戦列復帰後は仕事をしましたがチームの降格を防げず母国に戻ります。しかし多くの新戦力を獲得したチームでは出場機会を得られず、1年でクラブとの契約を解除しました。
12/13シーズン途中にエヴァートンへ加わりますが、わずか7試合の出場に終わりました。その後ケガの多さを理由に31歳で引退しています。

1999年のU−17世界選手権で3試合戦い、2004年のU−21欧州選手権を経て10月9日イラン戦でフル代表デビュー。2005年コンフェデ杯では3試合ピッチに立ちましたが、翌年のW杯では出場機会に恵まれず3位決定戦での途中出場のみに終わりました。
2008年欧州選手権予選では8試合4得点で出場権獲得に貢献。本大会でも5試合に出場して決勝に進出しますがスペインに敗れ、3大会ぶりの優勝はなりませんでした。
2010年W杯予選ではバラックとの連係を武器に9試合に出場し、2大会連続の本大会出場権を獲得しますが、彼のケガによる落選もあり自身も登録メンバーから漏れました。
代表記録 52試合6得点
※:トーマス・ヒツルスペルガー(Thomas HITZLSPERGER)
2010年2月10日:新規アップ 2013年9月6日更新