平瀬 智行(Tomoyuki HIRASE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 平瀬 智行(ヒラセ トモユキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 東京都板橋区 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1977・5・23 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 184cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2000・2・5 メキシコ戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 17 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ヒラ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 99AFC月間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 97ファーストステージ | ||||||||||||||||||||||||||||
97,00ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
97,00天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
00,01セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
00,01Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
96 鹿島アントラーズ | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97 鹿島アントラーズ 27 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98 CFZド・リオ(ブラジル) | |||||||||||||||||||||||||||||
99 鹿島アントラーズ 19 | 22 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
00 鹿島アントラーズ 9 | 26 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
01 鹿島アントラーズ 9 | 23 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 鹿島アントラーズ 9 | 7 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
02 横浜F・マリノス 18 | 19 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
03 鹿島アントラーズ 19 | 28 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
04 鹿島アントラーズ 19 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 ヴィッセル神戸 32 | 10 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ヴィッセル神戸 21 | 19 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
06 ヴィッセル神戸(J2) 14 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
07 ヴィッセル神戸 14 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 ベガルタ仙台(J2) 14 | 38 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ベガルタ仙台(J2) 14 | 40 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
10 ベガルタ仙台 14 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
184cmの高さと、50mを6秒以内で走り切る抜群のスピードが武器のストライカー。柔らかいボールタッチを見せるなど、足もとのテクニックも備えています。 東京都板橋区に生まれますが、その後鹿児島県鹿児島市に引っ越します。小学3年からサッカーを始め、地元中学を経て強豪鹿児島実業に入学します。 3年にFW城、MF遠藤彰ら実力者がそろう中でレギュラーを獲得し、高校選手権を経験します。3年時の大会では3回戦の鵬翔(宮崎)、準々決勝の室蘭大谷(北海道)と、2試合連続ハットトリックを決めました。決勝では静岡学園と戦いましたが悪天候のなか互いに動きが鈍り、スコアレスドローで両校優勝という結果になりました。 卒業後、柳沢らとともに鹿島へ入団します。プロ2年目の1997年9月3日G大阪戦でプロデビュー。その後ジーコが会長を務めるCFZにレンタル移籍しました。復帰後の1999年4月10日京都戦のVゴールがプロ初ゴールとなりました。 翌00シーズンには4月29日神戸戦でプロ初のハットトリックをマークするなど、チーム最多の11ゴールを挙げてリーグ優勝に導くと、ナビスコ杯、天皇杯の3冠も達成します。しかしその後はコンスタントに試合に出られず、02シーズンには横浜FMにレンタル移籍しました。 鹿島に復帰後、小笠原と最多タイの7ゴールでチーム内得点王になるも再び不振に陥り、神戸へ移籍しました。ここでもバックアッパーの域を出ませんでしたが、06シーズンにはバクスター監督に重用され30試合に出場。3ゴールに終わったものの、復調の兆しを見せます。 07シーズンは大久保など即戦力の加入や近藤祐の台頭があり、08シーズンは仙台で11ゴールを挙げて役割を果たしますが、惜しくもJ1復帰はなりませんでした。 翌09シーズンは8ゴールでクラブ7年ぶりのJ1復帰に貢献すると、天皇杯でも準々決勝でゴールを挙げてベスト4進出に貢献。10シーズンを最後に現役を退いています。 J1リーグ:180試合32得点 J2リーグ:108試合22得点 U−18より代表に招集さます。1997年Wユースには出場しませんでしたが、シドニー五輪最終予選で3試合連続で2ゴールをマークして、2大会連続出場に貢献。1次予選からの通算17ゴールは、日本の五輪予選史上最多となっています。しかし本大会では柳沢と高原の陰に隠れる形になり、2試合の途中出場に終わりました。 2000年2月5日メキシコ戦で、代表初キャップを記録しています。 代表記録 2試合0得点 2007年7月2日:新規アップ 2012年3月3日更新 |