ゴンサロ・イグアイン(Gonzalo HIGUAIN)
フルネーム ゴンサロ・ヘラルド・イグアイン
国籍 アルゼンチン※1
出身地 ※2
生年月日 1987・12・10
身長 184cm
体重 75kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2009・10・10
ペルー戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム エル・ピピータ
個人タイトル 13/14セリエAベストイレブン
13/14,14/15UEFAヨーロッパリーグベストイレブン
チームタイトル 06/07,07/08,11/12リーガ・エスパニョーラ
10/11コパ・デル・レイ
13/14,16/17コッパ・イタリア
16/17セリエA
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 リーベル・プレート 38
05/06 リーベル・プレート 29 14
06/07 リーベル・プレート 19 17
06/07 レアル・マドリー(スペイン) 20 19
07/08 レアル・マドリー(スペイン) 20 25
08/09 レアル・マドリー(スペイン) 20 34 22
09/10 レアル・マドリー(スペイン) 20 32 27
10/11 レアル・マドリー(スペイン) 20 17 10
11/12 レアル・マドリー(スペイン) 20 35 22
12/13 レアル・マドリー(スペイン) 20 28 16
13/14 ナポリ(イタリア) 9 32 17
14/15 ナポリ(イタリア) 9 37 18
15/16 ナポリ(イタリア) 9 35 36
16/17 ユヴェントス(イタリア) 9 38 24
17/18 ユヴェントス(イタリア) 9    
スピードあふれるドリブルと正確なパス、両足を使いこなすテクニックでSTやサイドでプレーしていましたが、年を経て世界屈指のCFになっています。

ボカ、リーベルとアルゼンチンの2大クラブでDFとして活躍した父親ホルへ・ニコラス・イグアインの子としてフランスのブレストに生まれます。共にプロサッカー選手になる兄の背中を追いかけ幼いころからボールに親しみ、父親が在籍したリーベルの下部組織で成長します。
2005年5月29日のヒムナシア戦でアルゼンチンリーグにデビューします。翌シーズンからパサレラ監督より徐々に出場機会が与えられ、2006年10月8日、自身初めてのボカ戦で2ゴールを挙げてチームを勝利に導きました。また、11月3日ヌエバ・チカゴ戦では兄であるフェデリコと初対決が実現、試合は彼のゴールにより1−2で敗れました。
06/07シーズンもアルヘンティノスやボカから1試合2ゴールを決めるなど、7試合で8ゴールを挙げます。この活躍にミラン、ラツィオ、マンチェスター・U、チェルシーといったビッグクラブから相次いでオファーがありましたが、好条件のR・マドリーと6年半の長期契約を結びます。
2007年1月14日サラゴサ戦でスペインリーグにデビューし、ファン・ニステルローイのゴールを演出。マドリードダービーで移籍初ゴールを挙げるなど19試合に出場してリーグ優勝を経験しました。翌シーズンはスーパーサブとして終盤戦に輝きを放ち、優勝を決めたオサスナ戦やクラシコなど途中出場で4試合連続ゴールを挙げ、リーグ2連覇に大きく貢献しました。
08/09シーズンはロビーニョやファン・ニステルローイの離脱があり先発に定着、11月8日マラガ戦では1試合4ゴールを記録するなどゴール感覚が開花し、リーグ5位の22ゴールを記録しました。09/10シーズンはC・ロナウド、カカ、ベンゼマとアタッカーの相次ぐ入団がありましたが、9月15日チューリッヒ戦ではチャンピオンズ・リーグ初ゴールを挙げると、アウェーのバジャドリー戦でのハットトリック以降5試合連続ゴールと、同胞メッシと得点王を争いました。
10/11シーズンは調子を上げたベンゼマの前に影が薄くなりますが、アウェーのバレンシア戦でハットトリックを達成するなど10ゴールを記録。チャンピオンズ・リーグでもアヤックスやミランからゴールを奪いました。翌シーズンはハットトリックと1試合2ゴールをそれぞれ2度見せるなど国内4位の22ゴールに7アシストを記録すると、チャンピオンズ・リーグでも12試合で3ゴール2アシストと多彩な働きでベスト4になります。12/13シーズンはチャンピオンズ・リーグこそ1ゴールでベスト4にとどまりましたが、リーグ戦ではPKなしで16ゴールを挙げました。
13/14シーズンにナポリへ。カバーニの穴を埋める存在としてはもちろん、マラドーナを想起させるアルゼンチン人FWということもありサポーターから期待を受けます。そして8月25日ボローニャ戦でセリエAデビューすると、続くキエーヴォ戦から3試合連続ゴール、ミラン戦など3度の1試合2ゴール、本拠ラツィオ戦でのハットトリックなど17ゴールを挙げます。また、アウェーのフィオレンティーナ戦での2アシストは、チャンピオンズ・リーグ出場権獲得に欠かせない仕事となりました。チャンピオンズ・リーグではドルトムント、アーセナル、マルセイユと激戦区で3位になりましたが、各チームから計5ゴールと世界レベルの能力を示しました。国内カップではローマ勢から2ゴールを決めて優勝しました。
2年目もヴェローナ戦でのハットトリックからの5試合連続ゴールや、ジェノア、サンプドリア、ラツィオと上位からの1試合2ゴールなど18ゴールをマーク。その中ではラツィオ戦でPKを外してチャンピオンズ・リーグを逃したのが悔やまれました。ヨーロッパリーグもD・モスクワ戦でのハットトリックなど7ゴールを挙げましたが、準決勝でドニプロに敗れました。
3年目は本拠ユヴェントス戦、その後7度の1試合2ゴール、最終節フロジノーネ戦のハットトリックなど36ゴールをマーク。ミランのノルダールが49/50シーズンから2年連続で35ゴールを挙げて以来66年ぶりにシーズン最多記録を塗り替えました。
16/17シーズンにユヴェントスへ移籍します。チームで唯一全試合に出場し、トリノダービーでのドッピエッタを皮切りに6連発するなど24ゴールをマーク。コッパ・イタリアではナポリ相手にホームで1ゴール、強烈なブーイングの中でのアウェーで2ゴールと恩返ししました。チャンピオンズ・リーグでは若いモナコを2ゴールで抑えますが、決勝でR・マドリーに封じられました。

フランスにルーツがあり、2006年11月4日、対ギリシャ戦のメンバー入りをドメネク監督から要請されるも固辞、1月26日には同国代表としてプレーしないことを正式に表明しました。
その後非公式の試合を経て、翌年のW杯予選となる2009年10月10日ペルー戦でフル代表デビューを果たすと、ゴールも見せてマラドーナ監督の起用に応えました。
本大会では韓国戦でハットトリックを決め、メキシコ戦でもゴールを記録するなどメッシの不調をカバーしますが、準々決勝でドイツの守備陣に封じ込まれました。
2011年コパ・アメリカでは3試合出場し、ウルグアイ戦でゴールを決めました。2014年W杯予選は11試合戦い、チリ戦でのハットトリックや、アウェーのペルー戦、チリ戦での勝ち越しゴールなどメッシに次ぐ9ゴールを挙げます。本大会は7試合に出場、ベルギーとの準々決勝でダイレクトシュートを決めたのが唯一のCFらしい仕事でしたが、ボスニア・H戦でのパス交換からの追加点など、キャプテンの攻撃力を発揮させるべくチームプレーを披露しました。
2015年コパ・アメリカでもジャマイカとパラグアイの2戦で連発しますが、決勝で地元チリに封じられ、PK負けを喫しました。翌年はベネズエラ、アメリカから2ゴールずつと決勝トーナメントで勝負強さを見せますが、チリの前に再びPK戦で涙をのんでいます。
代表記録

※1:フランス国籍もあり
※2:ブレスト(フランス)
2010年10月8日:新規アップ 2017年7月11日更新