フース・ヒディンク(Guus HIDDINK)
フルネーム フース・ヒディンク
国籍 オランダ
出身地 ファッセフェルト
生年月日 1946・11・8
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴            1981〜83 デフラーフスハプアシスタントコーチ
1983〜87 PSVアシスタントコーチ
1987〜90 2002〜05 PSV
1990〜91 フェネルバフチェ(トルコ)
1991〜94 バレンシア(スペイン)
1995〜98 2014〜15 オランダ代表
1998〜99 レアル・マドリー(スペイン)
1999〜00 ベティス(スペイン)
2000〜02 韓国代表
2005〜06 オーストラリア代表
2006〜10 ロシア代表
2009〜09 2015〜16 チェルシー(イングランド)
2010〜11 トルコ代表
2012〜13 アンジ(ロシア)
獲得タイトル 86/87〜88/89,02/03,04/05エールディヴィジ
86/87〜89/90,04/05オランダカップ
87/88UEFAチャンピオンズ・リーグ
98FIFAインターコンティネンタル・カップ
02アジア年間最優秀監督賞(AFC)
08/09FAカップ
現役時代は攻撃的MFとしてプレーし、1967年にプロデビュー。デフラーフスハプやPSVやNECなど主に母国で活躍しました。1982年に現役を引退して指導者の道に進みました。

オランダ伝統の4−3−3や攻撃的な4−4−2を戦術のベースとしていますが、攻守ともに型にはまらない時宜にかなった采配を見せる世界屈指の名将です。
選手の人心掌握術にも長け、比較的戦力の劣るチームにおいて実力を発揮することもあり、再建を託そうとする世界各地から就任のオファーが絶えません。試合前の準備に多くの時間を費やし、相手をけん制する奇策やマスコミ操作も得意とします。
采配の都合上、率いるチームには必ずユーティリティプレーヤーがいるのも特徴です(オランダ、PSVのコクーや韓国のユ・サンチョル、オーストラリアのエマートンなど)。その采配は“ヒディンク・マジック”と称されることがあります。

ハーレムのスポーツ学校で教育を受けてライセンスを取得。現役時代に所属したクラブでアシスタントとしてキャリアをスタートさせ、1987年に40歳の若さでPSVの監督に就任します。
そしていきなり国内リーグと欧州制覇という偉業を達成します。R・クーマン、ベルギー代表ゲレツ、デンマーク代表ハインツェとDFラインにも攻撃的なタレントがそろっており、さらにロマーリオも加入。国内では無敵を誇り、その後リーグ2連覇になりました。
国内ですべてをやり尽くして新しいチャレンジの場を海外に求め、トルコやスペインの強豪クラブを歴任します。この経験が後の国際的な活躍をする下地の時期だったのです。
1995年に母国オランダ代表に就任し、翌年の欧州選手権に出場します。95/96シーズンのチャンピオンズ・リーグ制覇を達成したアヤックスのメンバー(ファン・デル・サール、ライツィハー、ダーヴィッツ、クライファート、R・デブールなど)が中心で優勝候補の一角でしたが、大会前にオーフェルマルスとR・デブールがケガで離脱し、ジョルディ・クライフをメンバーに入れます。彼は期待に応えスイス戦でゴールを挙げるなどグループリーグを突破しましたが、チーム内でトラブルが発生。人種差別という根の深い問題で、自らを批判するなど一連の騒動を起こした張本人のダーヴィッツを強制帰国させるという事態に発展、チームのムードは険悪でした。そのような状態で本来の実力を出せないままフランスに敗れ、ベスト8という結果に終わりました。2年後のW杯予選ではトルコには1分1敗と分が悪かったものの、後は全勝して突破しました。そして欧州選手権での教訓を生かし、ライカールトをスタッフに加えて黒人選手とのパイプ役に据え、ダーヴィッツも招集して勝利への執念を見せます。本大会ではベルギー戦でクライファートが退場するなど序盤から不穏な空気が漂いますが、韓国に5−0と大勝したのが大きく、1勝2分ながら首位でグループリーグを突破します。その後準決勝でブラジルにPKで敗れ、クロアチアとの3位決定戦にも敗れました。しかしこの大会で採用した4−2−3−1システムは、後にヨーロッパで流行するフォーメーションとなったのです。
母国での苦い経験の後、R・マドリーではインターコンティネンタル杯でジュニーニョ・ペルナンブカーノ擁するブラジルのヴァスコ・ダ・ガマを下しタイトルを獲。しかし途中で解任され、続くベティスでも同様の事態になるなど、スペインでは不遇の時を過ごしました。
2000年に韓国代表史上初の外国人監督として就任、ゾーンディフェンスを持ち込みますが、基本とする4バックが浸透せず就任前同様3バックを採用します。本大会ではW杯初勝利を挙げてアジア勢初のW杯ベスト4に導きます。決勝トーナメントのイタリア戦では1点ビハインドの状況でチャ・ドゥリやイ・チョンスなど攻撃的な選手を次々と投入、88分のソル・ギヒョンと延長でのアン・ジョンファンの逆転ゴールを引き出して韓国で英雄となりました。
02/03シーズンにPSVに復帰。パク・チソンとイ・ヨンピョを韓国から連れてレギュラーに据え、05/06シーズンまでの間に3度のリーグ優勝に輝きます。また、04/05シーズンのチャンピオンズ・リーグの準決勝では、2年前の王者ミランを追い詰める大健闘を見せました。
2005年、オランダでのリーグ戦を制覇した後に兼任していたオーストラリアの監督に専念します。オセアニア予選を突破してウルグアイとの大陸間プレーオフへ。PK戦にもつれた試合は、GKシュウォーツァーが相手のPKを2本止めて32年ぶりのW杯出場を決めました。W杯本大会初戦の日本戦では、先制された後守備の枚数を減らして、ケイヒル、アロイージといった選手を投入し攻勢に出ると、この両者がわずか10分の間に3点を取り大逆転勝利を収めます。ブラジルには敗れたもののクロアチアには競り勝って決勝トーナメントに進出。イタリアに敗れベスト16止まりでしたが、オーストラリア国民を熱狂させた手腕は賞賛されました。
W杯後はロシアの再建に携わり、2008年欧州選手権予選に臨みます。アウェーで予選初の黒星をつけてきたイングランド相手にホームで雪辱を果たし、クロアチアに次いで2位で予選を通過、イングランドの本大会出場を阻止しました。戦力的にも守備陣は早熟のGKアキンフェエフやリベロのイグナシェヴィチ、双子のベレズツキといったC・モスクワ勢、攻撃陣はセビージャのFWケルジャコフ、国内リーグ優勝に貢献したアルシャヴィンなどが結果を残しました。優勝候補のスペインには初戦で敗れますが、前回大会王者ギリシャ、スウェーデンを完封して突破を決めます。特に後者では予選最終節で暴力行為を働き大会の最初の2試合に出場できなかったアルシャヴィンがゴールを決め、ロシアとして初めてグループリーグ突破を決めました。準々決勝では「死のグループ」を全勝で突破した祖国オランダと対戦、豊富な運動量で終始主導権を握りベスト4に進出。再び対戦したスペインの勢いは止められませんでしたが、大会終了後は移籍市場で多くの選手に注目が集まり成功を収めました。
2009年に入り、スコラーリ監督の解任が決まったチェルシーに就任。自身2度目の代表との兼任となります。そして前政権下で不調だったドログバを復調させ、アネルカとの2トップを機能させるなど相変わらずの人心掌握力を見せます。チャンピオンズ・リーグでは準決勝に進出しバルセロナと対戦。アウェーでの1stレグをスコアレスドローで終えるとホームでも先制、終了5分前までリードしていたものの、相手に許した唯一のシュートがイニエスタのアウェーゴールという不運な結果に終わりました。それでもFA杯を獲得して面目を保ち、当初の予定通り臨時監督としての職を終えますが、その後テクニカル・アドバイザーとしてクラブに残りました。
ロシア代表の2010年W杯予選は最大のライバル、ドイツに2連敗してプレーオフに回り、スロヴェニアと対戦します。1stレグをビリャレトディノフの2ゴールでものにしましたが、1点のアウェーゴールを許したことが響き、2ndレグにて0−1で敗戦したことで本大会出場を逃しました。
2010年W杯終了後からはトルコ代表の指揮を執ります。2年後の欧州選手権予選では中盤のアルダが最多ゴールを決め、ハリル・アルティントップやFWブラクが後に続きます。守備では本来MFのセルチュクを最終ラインに回し、チーム最多の10試合と信頼を寄せました。ベルギーには1勝1分となりましたが、充実したドイツには2敗と歯が立たずプレーオフに回ります。ここでは前回の準々決勝の再戦となり、クロアチアに雪辱を許して辞任しました。
2012年2月にアンジに就任、5位になってヨーロッパリーグ出場権を手にするものの1年で辞任します。2期目の母国代表も2016年欧州選手権予選でアイスランドやチェコの後塵を拝する不振の責任を取って退任しました。
15/16シーズン途中にチェルシーに復帰しますが、10位に終わりました。

2006年6月25日:新規アップ 2017年5月9日更新

87/88PSV(クラブ初の3冠達成)
ヒルハウス キーフト
リンスケンス ファネンブルグ
レアビー ファンアーレ
ハインツェ ゲレツ
クーマン ニールセン
  Vブロイケレン  

96オランダ代表 (欧州選手権ベスト8)
 クライファート 
コクージョルディ・C
 ベルカンプ 
Ri・ヴィチュヘR・デブール
ボハルデライツィハー
ブリントデ・コック
 V・デルサール 

98オランダ代表(W杯ベスト4)
 クライファート 
 ベルカンプ 
ゼンデンオフェルマルス
ダーヴィッツコクー
ヌマンライツィハー
F・デブールスタム
 V・デルサール 

98/99レアル・マドリー
ミヤトヴィッチモリエンテス
 ラウール 
サヴィオセードルフ
 レドンド 
R・カルロスパヌッチ
イエロサンチス
 イルクナー 

02韓国代表(W杯ベスト4)
 アンジョンファン 
ソル・ギヒョンパク・チソン
イ・ヨンピョソン・ジョング
キム・ナミルユ・サンチョル
キム・テヨンチェ・ジンチョル
 ホン・ミョンボ 
 イ・ウンジェ 

04/05PSV(国内リーグ優勝、CLベスト4)
 VOヘッセリンク 
ファルファンパク・チソン
ファン・ボメルフォーゲル
 コクー 
イ・ヨンピョオーイエル
ボウマアレックス
 ゴメス 

06オーストラリア代表(W杯ベスト16)
 ヴィドゥカ 
キューウェルブレッシャーノ
ウィルクシャーエマートン
グレッラクリナ
チッパフィルドムーア
 ニール 
 シュウォーツァ 

08ロシア代表(欧州選手権ベスト4)
 パブリチェンコ 
 セムショフ 
アルシャヴィンサエンコ
ジリャノフセマク
ジルコフアニュコフ
V・ベレズツキイグナシェヴィチ
 アキンフェエフ