エクトル・エレーラ(Hector HERRERA)
フルネーム エクトル・ミゲル・エレーラ・ロペス
国籍 メキシコ  
出身地
生年月日 1990・4・19
身長 183cm
体重 72kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2012・10・16
エルサルバドル戦
代表背番号 6 16
W杯メンバー 14年 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 12ロンドンオリンピック金メダル
15CONCACAFゴールドカップ
17/18ポルトガルリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
07/08 クアウトラ(3部) 26
08/09 アルト・レンディミエント(3部) 10
08/09 ウニベルシダ・パチューカ(3部) 17
09/10 ウニベルシダ・パチューカ(3部) 24
10/11 タムピコ・マデーロ(3部) 11
11/12 パチューカ 21 23
12/13 パチューカ 6 26
13/14 ポルト(ポルトガル) 16 17
14/15 ポルト(ポルトガル) 16 33
15/16 ポルト(ポルトガル) 16 29
16/17 ポルト(ポルトガル) 16 23
17/18 ポルト(ポルトガル) 16 29
18/19 ポルト(ポルトガル) 16 33
19/20 アトレティコ・マドリー(スペイン)    
力強いドリブルと多彩なパスでゲームを動かし、これらを試合中に精度を落とさず実現できる運動量も備えたメキシコ代表のセントラルMFです。

建築に従事する父親の仕事を手伝っていたこともあり3部リーグで長年プレー。11/12シーズンにパチューカへ移籍、7月23日S・ラグーナ戦で1部デビューします。
1年目はイエロー8枚、レッド2枚を受け、2年目もレッド1枚を受けるなど守備面で拙さが見えましたが、26試合で2得点と中盤に欠かせない存在となりました。
13/14シーズンにポルトと4年契約を結び、8月18日セトゥーバウ戦でポルトガルリーグにデビューします。しかしコロンビア代表キンテーロ、ベルギー代表デフール、アルゼンチン代表ルチョと層が厚く17試合にとどまりました。チャンピオンズ・リーグでは、グループリーグのゼニト戦で大会史上最速となる開始6分でのイエロー2枚での退場となりました。
2年目はチーム最多の33試合に出場、アルジェリア代表ブライミ、ブラジル代表カゼミーロとの中盤を強固なものにします。チャンピオンズ・リーグでは3得点を挙げ、準々決勝バイエルン戦でも1stレグを3−1で勝利しますが、2ndレグで6失点して敗退しました。
3年目の後半に主将に就任。ダニーロやR・ネヴェス、A・アンドレと中盤の充実もありベンフィカ戦やスポルティング戦などキャリア最多の9得点を挙げました。国内カップでは決勝に進みますが、PK戦で失敗し、ブラガに敗れました。チャンピオンズ・リーグはチェルシーなどの前にグループリーグを突破できず、ヨーロッパリーグでもドルトムントに敗れました。
5年目はベレネンセス戦で1得点1アシスト、さらに王者ベンフィカとのアウェー戦では決勝点を挙げてクラブに5年ぶりのリーグタイトルをもたらしました。6年目は最終節スポルティング戦で決勝点を挙げますが、勝ち点2差で優勝を逃しました。9試合に出場したチャンピオンズ・リーグでは、L・モスクワとの2試合で2得点1アシストしました。
19/20シーズンにフリーでA・マドリーへ移籍しています。

2012年トゥーロンでは5試合1得点の成績でチームを優勝に導きMVPになり、直後のロンドン五輪でも4試合戦いセネガル戦で点を取って金メダルを獲りました。
フル代表デビューは同年10月16日エルサルバドル戦で、2014年W杯予選はこの試合含め5試合に出場。本戦では4試合に出場しますが、ベスト16の壁を破れませんでした。
2015年ゴールド杯では5試合戦って母国7度目の優勝に立ち会いました。翌年のコパ・アメリカCは4試合戦いウルグアイ戦で得点を挙げました。
2017年コンフェデ杯は5試合戦い、ロシアやドイツ戦で3アシストしました。2018年W杯予選は15試合で2得点を挙げ、本戦も4試合にスタメン出場しました。
代表記録

※:プラヤス・デ・ロサリト
2017年2月27日:新規アップ 2019年7月5日更新