ガブリエル・エインセ(Gabriel HEINZE)
フルネーム ガブリエル・イバン・エインセ
国籍 アルゼンチン
出身地 クレスポ
生年月日 1978・4・19
身長 178cm
体重 72kg
利き足
ポジション DF(CB LSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・4・30
リビア戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム ガビ
個人タイトル  
チームタイトル 03/04フランスカップ
04アテネオリンピック金メダル
05/06イングランドリーグ・カップ
06/07プレミアリーグ
07/08リーガ・エスパニョーラ
09/10リーグアン
09/10,10/11フランスリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97/98 ニューウェルス・オールドボーイズ
97/98 バジャドリー(スペイン) 25
98/99 スポルティング(ポルトガル) 28
99/00 バジャドリー(スペイン) 2 18
00/01 バジャドリー(スペイン) 3 36
01/02 パリ・サンジェルマン(フランス) 2 31
02/03 パリ・サンジェルマン(フランス) 2 35
03/04 パリ・サンジェルマン(フランス) 2 33
04/05 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 4 26
05/06 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 4
06/07 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 4 22
07/08 レアル・マドリー(スペイン) 16 20
08/09 レアル・マドリー(スペイン) 16 24
09/10 マルセイユ(フランス) 19 27
10/11 マルセイユ(フランス) 19 31
11/12 ローマ(イタリア) 5 30
12/13 ニューウェルス・オールドボーイズ 20 26
13/14 ニューウェルス・オールドボーイズ 20 27
闘争心旺盛で、身長は高くないものの当たりに強い頑強なDFです。3バックにも4バックにも対応し、サイドでプレーする時は積極的なオーバーラップを見せるなど攻撃面でも貢献します。

ドイツ人の父とイタリア人の母の間に生まれ、14歳でニューウェルスの下部組織に入ります。1996年にサンロレンソ戦でトップデビューし、主に左SBとしてプレーしていました。
やがてリーベルとの試合を視察していたバジャドリーからオファーを受けます。クラブが財政難だったこともありヨーロッパに渡りました。しかし若すぎるとの理由でプレーできず、スポルティングへレンタル移籍しましたが、わずか5試合の出場に終わりました。
99/00シーズンよりバジャドリーに復帰すると、マンサーノ監督により出場機会が与えられ、9月11日デポルティボ戦でリーガデビューします。18試合に出場して信頼を得ると、翌シーズンに就任した同胞フェラーロ監督にも重用されました。チームが降格争いに巻き込まれる中、最後の砦として奮闘し36試合に出場。R・バジェカーノ戦ではプロ初ゴールを挙げ、辛うじて1部残留となりました。また、日本代表FW城彰二ともプレーしています。
この活躍が認められ名門PSGに移籍します。ビルバオを指揮していたルイス・フェルナンデス監督に高く評価されてレギュラーに定着。7月28日リール戦でのリーグデビュー以来、同胞ポチェッティーノとコンビを組み、リーグ最小失点の24失点でシーズンを終えました。
2年目にはランス戦で初ゴールを挙げ、強豪リヨンからもゴールを奪います。翌03/04シーズンに国内カップ決勝でマルセイユを下し、自身初タイトルを獲得しました。
04/05シーズンにマンチェスター・Uへ移籍します。9月11日ボルトン戦でプレミアデビューを自らゴールで飾り、サポーターの支持を得てレギュラーとしてプレーします。2005年9月に左ヒザ十字じん帯断裂の大ケガを負いましたが、復活を果たしました。
06/07シーズンはエヴラの加入により、リヴァプール行きもうわさされましたが、R・マドリーへ加入。9月2日ビジャレアル戦でリーガデビューし、本拠セビージャ戦でゴールをマークするなど、主に左SBとして退団したR・カルロスの抜けた穴を埋めてリーグ優勝に貢献しました。
09/10シーズンにフランスに復帰。18年ぶりのリーグ優勝とリーグ杯の2冠に貢献すると、チャンピオンズ・リーグでもミラン戦など2ゴールを挙げました。しかし2年目終了後にクラブとの契約を解除しローマへ移籍して30試合に出場しました。
15年ぶりの古巣では、リーグ戦で2枚もレッドを受け、10試合戦ってベスト4になったリベルタドーレスでも1枚レッドを受けました。2年目を最後に引退しています。

2003年4月30日リビア戦でフル代表デビュー。6月8日の日本戦にも途中出場しました。翌年のコパ・アメリカではCBとして全6試合出場しましたが、PK戦の末敗れ優勝を逃しました。同年夏のアテネ五輪ではDFアジャラ、MFキリ・ゴンサレスとともにオーバーエージ枠でメンバー入りし全6試合出場。セルビア・Mとの初戦でゴールを決めて金メダルを獲得しました。
2006年W杯予選では10試合に出場し、サムエルやサネッティなどが落選する中、本大会のメンバーに名を連ねて4試合出場。2010年大会でも予選で14試合、本大会でも初戦でセットプレーからヘディングを決めるなど、4試合に出場しました。
2005年コンフェデ杯と2007年コパ・アメリカはいずれも準優勝となっています。
代表記録 72試合3得点

2007年3月6日:新規アップ 2015年7月24日更新