エデン・アザール(Eden HAZARD)
フルネーム エデン・アザール
国籍 ベルギー
出身地 ラ・ルヴィエール
生年月日 1991・1・7
身長 170cm
体重 63kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2008・11・19
ルクセンブルク戦
代表背番号 10
W杯メンバー 14年 18年
ニックネーム  
個人タイトル 08/09,09/10リーグアン年間最優秀若手選手
09/10,10/11リーグアンベストイレブン
10/11,11/12リーグアン年間最優秀選手
12/13〜16/17プレミアリーグベストイレブン(PFA)
14/15プレミアリーグ年間最優秀選手(PFA)
14/15プレミアリーグ年間最優秀選手(FWA)
14/15プレミアリーグ年間最優秀選手(リーグ選定)
18FIFA/FIFProベストイレブン
チームタイトル 10/11リーグアン
10/11フランスカップ
12/13,18/19UEFAヨーロッパリーグ
14/15,16/17プレミアリーグ
14/15イングランドリーグ・カップ
17/18FAカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
07/08 リールB(フランス4部) 11
07/08 リール(フランス) 34
08/09 リール(フランス) 26 30
09/10 リール(フランス) 26 37
10/11 リール(フランス) 26 38
11/12 リール(フランス) 10 38 20
12/13 チェルシー(イングランド) 17 34
13/14 チェルシー(イングランド) 17 35 14
14/15 チェルシー(イングランド) 10 38 14
15/16 チェルシー(イングランド) 10 31
16/17 チェルシー(イングランド) 10 36 16
17/18 チェルシー(イングランド) 10 34 12
18/19 チェルシー(イングランド) 10 37 16
19/20 レアル・マドリー(スペイン)    
高度な技術と敏捷性、意外性を兼ね備えており、爆発力を秘めた低い重心のドリブルで敵陣に侵攻するベルギーのナンバー10です。

サッカー選手である両親の下、トルガン、キリアンら4人兄弟の長男として生まれ、7歳からクラブに入ります。14歳で母国を飛び出してフランスのリールに入団しました。
リザーブチームで結果を出した後、2007年11月24日ナンシーとのリーグ戦にて16歳でプロデビューします。1年目はいずれもバックアッパーとして4試合に出場しました。
2年目もベンチスタートが多かったものの、第6節オセール戦で初ゴールを挙げて勝利に貢献。リーグではマルセイユ、カップではリヨンと強豪からゴールを挙げました。
09/10シーズンはヨーロッパリーグに参戦、予選3回戦とプレーオフ、グループリーグのジェノア戦でゴール、ラウンド16のリヴァプール戦1stレグではFKを決めるなど12試合に出場しました。国内リーグでも12月20日ル・マン戦で1ゴール2アシスト、3日後のナンシー戦で1ゴール1アシスト、3月28日モンペリエ戦で2アシストして4−1での勝利に貢献するなど攻撃センスを発揮し、2年連続でヨーロッパリーグ出場権を獲得。外国人初となるリーグ最優秀若手選手になり、翌年もジダンやアンリもなしえなかった史上初の2年連続受賞となりました。
10/11シーズンも、セネガル代表ソウやコートジボワール代表ジェルヴィーニョらと組む攻撃陣でリーグ屈指の破壊力を見せ、7ゴール10アシストで57年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献。国内カップでも3ゴールを挙げて2冠の立役者となりました。
そして背番号10を託されます。新加入のJ・コールはあこがれの存在であり、彼が26番を背負うなど互いにリスペクトして相乗効果が生まれます。初出場のチャンピオンズ・リーグこそ6試合でノーゴールと持ち味を出せなかったものの、国内リーグでは2位の20ゴール、最多の15アシストと異次元の働きを見せ、チェルシーに引き抜かれます。
2012年8月19日ウィガン戦でのプレミアデビューから3戦連続でアシストし、ニューカッスル戦では初ゴールも決めます。.最終的にチーム最多のランパードに次ぐ9ゴールを決め、リーグ最多17のマタに次ぐ16アシストと文句なしの働きでベストイレブンに選ばれました。チャンピオンズ・リーグではユヴェントス戦で同時入団のオスカルをアシスト。グループリーグ3位になりましたが、その後のヨーロッパリーグで7試合に出場して優勝しました(決勝は不出場)。ただ、リーグ杯スウォンジー戦ではボールボーイへの暴行で退場になりました。2年目もカーディフ戦やサンダーランド戦で2ゴール1アシスト、リヴァプール戦での同点ゴール、ニューカッスル戦でのハットトリックなど、いずれもチーム最多の14ゴール7アシストと猛威を振るい、2年連続でベスト11になりました。
3年目に代表で着ける10番に変更します。14ゴール9アシストとコンスタントに決定機を作って5年ぶりの優勝に大きく貢献し、個人タイトルを総なめにしました。5年目はマンチェスター勢など自己最多の16ゴールを挙げてリーグの覇権を奪還しました。
6年目はリーグ戦で3度の1試合2ゴールなど12ゴール、FA杯ではマンチェスター・Uとの決勝でPKを決めて優勝しました。8試合に出場したチャンピオンズ・リーグではローマ戦で2ゴールを挙げますが、バルサとのR16で1分1敗に終わりました。
7年目は自身のCF起用も辞さないサッリ新監督と戦術的に対立する中、カーディフ戦のハットトリックやリヴァプール戦の先制点など16ゴール、アーセナル戦やマンチェスター・C戦などリーグ最多の15アシストと、特上の輝きを放ちました。ヨーロッパリーグではロンドン対決となったアーセナルとの決勝で2ゴール1アシストして、チームを優勝に導きました。
19/20シーズンにジダン監督率いるR・マドリーへ移籍しています。

U−17から招集され、2007年に地元で行われたU−17欧州選手権ではグループリーグ初戦オランダ戦で点を取りますが、ボージャン擁するスペインに準決勝でPK負けを喫しました。続くU−17W杯では3試合プレーしますが、グループリーグで敗退しています。
2008年11月19日ルクセンブルク戦にて、17歳316日と代表史上8番目の若さでフル代表デビュー。2010年W杯予選では5試合出場し、並行して2度のU−19欧州選手権予選も戦います。2012年欧州選手権予選では8試合1ゴール1アシストに終わり敗退しました。
2014年W杯予選は9試合戦い、マケドニア戦の2ゴールなどで母国3大会ぶりの出場に貢献。本戦もアルジェリア戦とロシア戦でアシストしますが、自身はノーゴールでした。
2016年欧州選手権予選は9試合でチーム最多の5ゴールを挙げます。本大会では不在のコンパニに代わり腕章を巻き、5試合戦ってハンガリー戦でゴールを、完封されたイタリア戦以外4試合連続でアシストを決めてベスト8になりました。
2018年W杯予選は8試合に出場し、ボスニア・H戦からの4連発など6ゴールをマーク。本大会はパナマ戦でアシストし、チュニジア戦で2発決めました。R16日本戦ではフェライニを援護して同点にし、イングランド戦ではダメ押し点を挙げて母国最高の3位に貢献しました。
代表記録

余談
・ビッグクラブから注目の的となっており、特にR・マドリーでアドバイザーを務めるジダンに「天賦の技術と速さがあり、偉大な選手になるだろう。彼には輝かしい未来が待っている。彼をクラブに連れて行きたい」と言わしめています。
2011年7月9日:新規アップ 2019年6月8日更新