波戸 康広(Yasuhiro HATO)
フルネーム 波戸 康広(ハト ヤスヒロ)
国籍 日本  
出身地 兵庫県三原郡
生年月日 1976・5・4
身長 178cm
体重 72kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2001・4・25
スペイン戦
代表背番号 2 20 21
W杯メンバー  
ニックネーム ハトチャン
個人タイトル 14Jリーグ功労選手賞
チームタイトル 94/95アジアカップウィナーズ・カップ
98天皇杯
00,03,04ファーストステージ
01ナビスコカップ
03セカンドステージ
03,04Jリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95 横浜フリューゲルス
96 横浜フリューゲルス
97 横浜フリューゲルス 12
98 横浜フリューゲルス 12 16
99 横浜F・マリノス 12 19
00 横浜F・マリノス 4 26
01 横浜F・マリノス 4 27
02 横浜F・マリノス 4 27
03 横浜F・マリノス 4 10
04 横浜F・マリノス 4
04 柏レイソル 38 20
05 柏レイソル 4 30
06 大宮アルディージャ 22 28
07 大宮アルディージャ 4 31
08 大宮アルディージャ 4 34
09 大宮アルディージャ 4 30
10 横浜F・マリノス 32 25
11 横浜F・マリノス 20 16
無尽蔵のスタミナを持ち、フリーランニングやオーバーラップなど積極的な攻撃参加から正確なクロスをゴール前へ送る右SB。左や中盤にも対応し、さらにフィジカルにも恵まれ人に強いためストッパーとしてもプレーできる利便性があります。

小学1年からボールを蹴りはじめ、県大会を制します。中学でも準優勝を果たしました。強豪滝川二高に進み1年からレギュラーとして活躍。FWとしてカウンターサッカーの中心的存在となり、後に横浜Fでチームメートとなる吉田孝と2トップを組みました。主将として臨んだ3年時の高校選手権では2回戦で守山北(滋賀)に敗れています。
卒業後は吉田と共に横浜Fに入団し、1995年4月26日G大阪戦でJリーグデビュー。サイドにコンバートされます。その後しばらく監督の構想に入らず不遇の時を過ごしました。
98シーズン途中からレギュラーに定着しますが、横浜Fと横浜Mの合併が発表されます。自身を含め奮起したチームはその後リーグ戦で一度も負けることはなく、天皇杯も制しました。
99シーズンから永井秀、三浦淳、吉田らと共に入団。デラクルス監督によりストッパーにコンバートされ、井原、小村、松田と代表CBのプレーを体得してプレーの幅を広げます。また、4月28日浦和戦で初ゴールもマーク。11月にはフル代表に選ばれるもケガで辞退しました。
00シーズンに名将アルディレスが就任すると、レギュラーに定着し、1stステージ優勝に貢献します。翌シーズンはナビスコ杯を制すものの、リーグでは残留争いに巻き込まれました。
02シーズン開幕前に腰椎捻挫となり腰痛との戦いが始まりますが、気迫で試合に出場します。岡田監督には右アウトサイドで起用されますが腰痛のため戦線離脱、その後2シーズン棒に振る形となり、チームの成績とは裏腹に懸命にリハビリに努めていました。
04シーズンに中西や田中隼の加入もあり柏へ移籍します。右SBとして活躍し、横浜F時代の同僚薩川と久々にDFラインを組みます。福岡との入れ替え戦では2戦目でゴールを決めJ1残留に貢献。翌シーズンはリベロもこなしましたが、残念ながらJ1残留はなりませんでした。
06シーズンからプレーする大宮ではサイドに固定され、4年間J1残留に貢献。その後6年ぶりに横浜FMに復帰、優勝を知る経験でチームを盛り立て、11シーズンで引退しました。
J1リーグ:358試合2得点

2001年4月25日スペイン戦でフル代表デビューします。直後のコンフェデ杯にも3試合出場。しかし明神や市川とのポジション争いに敗れ、2002年W杯の出場はなりませんでした。
代表記録 15試合
2008年10月6日:新規アップ 2014年10月21日更新