イアン・ハート(Ian HARTE)
フルネーム イアン・パトリック・ハート
国籍 アイルランド
出身地 ドロヘダ
生年月日 1977・8・31
身長 175cm
体重 74kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1996・6・2
クロアチア戦
代表背番号
W杯メンバー 02年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95/96 リーズ(イングランド)
96/97 リーズ(イングランド) 14
97/98 リーズ(イングランド) 20 12
98/99 リーズ(イングランド) 20 35
99/00 リーズ(イングランド) 3 33
00/01 リーズ(イングランド) 3 29
01/02 リーズ(イングランド) 3 36
02/03 リーズ(イングランド) 3 27
03/04 リーズ(イングランド) 3 23
04/05 レバンテ(スペイン) 2 24
05/06 レバンテ(スペイン2部) 14 36
06/07 レバンテ(スペイン) 14
07/08 サンダーランド(イングランド) 3
08/09 ブラックプール(イングランド2部)
08/09 カーライル(イングランド3部)
09/10 カーライル(イングランド3部) 45 16
10/11 レディング(イングランド2部) 23 43 11
11/12 レディング(イングランド2部) 23 32
12/13 レディング(イングランド) 23 16
13/14 ボーンマス(イングランド2部) 14 24
14/15 ボーンマス(イングランド2部) 14
タイミングの良いオーバーラップに正確な左足でのフィード、ミドルシュートと攻撃性能に優れたアイルランド随一の左SB。FKは精度スピード共に世界屈指の威力を誇ります。

少年時代は首都ダブリンのチームでFWとして活躍していました。ウェストハムの入団テストには合格できませんでしたが、叔父のG・ケリーの存在もあり1995年にリーズへ入団すると、翌年1月13日ウェストハム戦にて弱冠18歳でプレミアデビューを果たします。
その後グレアム監督のもとで頭角を現し、その後就任したオレアリー監督により98/99シーズンにはレギュラーに定着。そのシーズンを3位と好位置につけました。
DFウッドゲイト、ファーディナンド、GKロビンソンらと共に守備陣を構築、キューウェル、スミス、ヴィドゥカ、ロビー・キーンなど豪華な攻撃陣をバックアップし、その後も上位をキープします。00/01シーズンのチャンピオンズ・リーグでは、1次リーグでミラン、バルセロナと互角に渡り合い2位で通過、続く2次リーグもR・マドリー、ラツィオと同じグループを2位で通過します。そして準々決勝デポルティボ戦の1stレグで先制点を挙げて突破を果たすものの、バレンシアのに完敗を喫しました。しかし若いチームの健闘に称賛の声が上がりました。
翌シーズンはUEFA杯で8試合プレーし、グラスホッパー戦でゴールをマーク。02/03シーズンはマンチェスター・Uから2アシストを決めて1勝1敗となり、終盤にアーセナルとアストン・ヴィラから2試合連続ゴールを挙げましたが、03/04シーズンは財政難もあり降格となりました。
213試合で28ゴールを挙げて退団、04/05シーズンよりスペインへ活躍の場を移して8月29日R・ソシエダとの開幕戦でのリーガデビューを自らゴールで飾ります。チームは2部に降格しますが、移籍することなく9ゴールを挙げて1年での1部復帰に大きく貢献しました。
チームとの契約が満了してイングランドへ復帰。かつての代表での同僚ロイ・キーン率いるサンダーランドへ加入しますが、わずか8試合の出場にとどまりました。その後はイングランドの下部リーグを渡り歩きます。レディングでは1年目に2ケタゴールを挙げると、2年目に2部を制して自身5年ぶりのプレミア復帰を果たしますがレギュラーになれず、チームも降格しました。
ボーンマスでは2年目にプレミア昇格を果たすも4試合に終わり、引退しています。

U−21を経て、1996年6月2日クロアチア戦で代表デビュー。その後ボリビア戦で初ゴールをマークしました。1998年W杯予選は9試合で1ゴールを挙げましたが、敗退しました。
2002年W杯予選はキルバーンと共に全試合先発し、プレーオフのイラン戦1stレグのPKなど4ゴールを挙げ2大会ぶりの出場に貢献。本大会も全試合戦い決勝トーナメントに進みました。
2006年W杯予選は4試合で2ゴールを挙げましたが、出場権を逃しました。
代表記録 63試合12得点

2008年4月21日:新規アップ 2016年5月29日更新