※1
フルネーム オーウェン・ハーグリーヴス
国籍 イングランド
出身地 ※2
生年月日 1981・1・20
身長 180cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2001・8・15
オランダ戦 
代表背番号 16 18
W杯メンバー 02年 06年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 00/01,02/03,04/05,05/06ブンデスリーガ
00/01,07/08UEFAチャンピオンズ・リーグ
01FIFAインターコンティネンタル・カップ
07/08,08/09,10/11プレミアリーグ
08FIFAクラブワールドカップ
08/09イングランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94/95 カルガリー・フットサルズ(カナダ)    
95/96 カルガリー・フットサルズ(カナダ)    
96/97 カルガリー・フットサルズ(カナダ)    
97/98 バイエルン(ドイツ)    
98/99 バイエルン(ドイツ)    
99/00 バイエルン(ドイツ)
00/01 バイエルン(ドイツ) 23 14
01/02 バイエルン(ドイツ) 23 29
02/03 バイエルン(ドイツ) 23 25
03/04 バイエルン(ドイツ) 23 25
04/05 バイエルン(ドイツ) 23 27
05/06 バイエルン(ドイツ) 23 16
06/07 バイエルン(ドイツ) 23
07/08 マンチェスター・ユナイテッド 4 23
08/09 マンチェスター・ユナイテッド 4
09/10 マンチェスター・ユナイテッド 4
10/11 マンチェスター・ユナイテッド 4
11/12 マンチェスター・シティ 20
ピッチ上では常に冷静で、豊富な運動量とスピードを生かした守備能力やボールコントロールが非凡です。MFもDFもこなすユーティリティ性は、クラブでも代表でも重宝されています。

ボルトン生まれのイングランド人の父親と、ウェールズ人の母親の間にカナダで生まれます。地元のカルガリー・フットサルズでキャリアをスタートさせ、U-15選手権で優勝しました。
そこでの活躍がバイエルンの目に留まり、ヒッツフェルト監督の説得により15歳でドイツへ渡ります。ユースチームに入って技術、戦術ともに英才教育を受けました。
00/01シーズンより徐々に出場機会が増え、チャンピオンズ・リーグ準決勝R・マドリー戦2ndレグでは、主将エッフェンベルクの出場停止でチャンスを得ると、フィーゴやラウールといった相手の攻撃陣を封じて代役を果たし、注目を集めるようになります。続く決勝のバレンシア戦でも、イェレミースの負傷退場の穴を埋めて余りある動きを見せ、前年のR・マドリーのマクマナマンに次ぐ、国外のクラブでビッグイヤーを掲げた2人目のイングランド人選手となったのです。
主力として活躍した翌シーズンはリーグで3位、チャンピオンズ・リーグでは10試合出場もベスト8止まりとタイトルが獲れませんでしたが、続く02/03シーズンには本拠ボルシアMG戦でのゴールなどマイスターシャーレ獲得(ブンデスリーガ優勝)に貢献しました。その後長期契約を結ぶもマンチェスター・U移籍が取りざたされ、チームとの関係が悪化して退団しました。
マンチェスター・Uと4年契約を結び、8月19日のマンチェスターダービーでプレミアデビュー。本拠アーセナル戦では決勝ゴールを挙げ、チャンピオンズ・リーグでもローマとの準々決勝2ndレグでとどめとなるテベスのゴールをおぜん立てするなど、複数のコンペティションを戦うチームの貴重な戦力として、自身2度目のビッグイヤーと初のプレミア制覇の2冠を達成しました。
しかし翌シーズン以降膝蓋骨に不安を抱え手術に踏み切り、以降リハビリに多くの労力を費やします。2010年5月のサンダーランド戦で2008年9月以来の出場を果たしました。ですが翌10/11シーズンの11月ウルヴズ戦でハムストリングを痛めて離脱しました。
クラブとの契約が満了となりマンチェスター・Cに入団しますが、1試合の出場に終わりました。クラブとの契約が切れて現役生活を終え、評論家に転身しています

2001年、カナダ、ドイツ、ウェールズといった選択肢からイングランドを選び、8月15日のオランダ戦でデビュー。2002年W杯予選で1試合、本大会でも2試合出場しました。
2度目のW杯予選では5試合に出場。途中出場が主でしたが常に召集されました。堅実なプレーが信頼を得ることになり、本大会で中盤や右SBとしてスタメンに名を連ね、ポルトガル戦では敗れながらもマン・オブ・ザ・マッチに選出されています。
欧州選手権は2度臨み、2004年大会の予選は4試合、本大会でも3試合出場してグループリーグを突破します。2008年大会は4試合に先発しますが、予選敗退となりました。
代表記録 42試合
※1:オーウェン・ハーグリーヴス(Owen HARGREAVES)
※2:カルガリー(カナダ)
2006年1月8日:新規アップ 2013年9月14日更新