原 博実(Hiromi HARA)
フルネーム 原 博実(ハラ ヒロミ)
国籍 日本  
出身地 栃木県那須塩原市
生年月日 1958・10・19
身長 183cm
体重 80kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1978・11・19
ソ連戦
代表背番号 14
W杯メンバー  
ニックネーム アジアの核弾頭
個人タイトル  
チームタイトル 81JSLカップ
82日本サッカーリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
81 三菱重工(JSL1部) 18
82 三菱重工(JSL1部) 18
83 三菱重工(JSL1部) 18
84 三菱重工(JSL1部) 18
85 三菱重工(JSL1部) 22 10
86/87 三菱重工(JSL1部) 22
87/88 三菱重工(JSL1部) 22 10
88/89 三菱重工(JSL1部) 18
88/89 三菱重工(JSL2部) 16
90/91 三菱自動車(JSL1部) 18
91/92 三菱自動車(JSL1部)
「アジアの核弾頭」の異名をとる日本史上屈指のCF。豊富な運動量と長身をフルに生かし、前線でポスト役を担い起点になります。身体ごとゴールに投げ出す泥臭いプレーも見せます。
自身の代名詞であるヘディングは、高さに任せるだけではなく、ポジションとタイミングのとり方も絶妙です。また、頭と見せかけて足を使うなど駆け引きのうまさも秀逸です。

栃木県生まれ。それまでは野球をしていましたが途中で肩を壊したので、小学5年ごろからサッカーを本格的に始めました。中学時代からヘディングは既に得意としており、身長の高さに任せてゴールを挙げていましたが、やがてそれだけでは勝てなくなりました。
そして、西ドイツ(現ドイツ)代表FWゼーラーのプレーに衝撃を受けます。170cm程度の身長にもかかわらず空中戦に強いゼーラーのプレーを研究し、まゆ毛が薄くなるほどの練習を積み重ねていったのです。矢板東高を経て早稲田大に進学し、2年時には二つ年上の先輩であるDF加藤久や岡田武史と共に大学選手権を制しました。
そして1981年、三菱重工(現浦和)に入社。ルーキーイヤーから活躍し、尾崎加壽夫と2トップを組んでチームを牽引します。初年度にJSL杯を獲得すると、翌82シーズンは優勝争いをする日立(現柏)相手にゴールを奪う活躍を見せてリーグ優勝に貢献しました。89シーズンは2部降格を味わいますが、自身の活躍もあり1年で1部復帰を果たしました。
J開幕直前の92シーズンで現役を引退し、6年後に監督としてチームに復帰。ブッフバルトの退団もあり4バックを導入し、新人の小野伸二を積極的に起用、チキと組む2列目はサポーターを魅了しましたが、2年目に両者が共に精彩を欠きチームは低迷、途中で解任されました。
02シーズンにFC東京に就任し、王者鹿島との開幕戦では4−2と圧勝します。CFアマラオの背後にケリーが控え、石川直、戸田光、加地のサイド攻撃とスペインで流行している4−2−3−1を体現、2年目には年間4位と好成績を収めました。
3年目は今野やルーカスといった即戦力が加入。ナビスコ杯では準々決勝、準決勝を共に4得点挙げると、決勝では守備のかなめジャーンが前半で退場処分となりますが、浦和の猛攻を完封してPK勝ちし、創立6年目のクラブに初タイトルをもたらしました。05シーズンで辞任しますが、07シーズンにもわずかの間指揮を執っています。

大学1年の時、メキシコで開催されたユニバーシアードに出場し8試合で7ゴールと大暴れすると、1978年11月19日、ソ連との新善試合でフル代表デビューを果たしました。碓井博行と2トップを組み、1ヶ月後のアジア大会バーレーン戦で代表初ゴールを挙げました。
モスクワ五輪予選や1982年W杯予選は出場機会がほとんどありませんでしたが、1982年のアジア大会で3ゴールを挙げて復活ののろしを上げると、ロサンゼルス五輪予選も3試合連続ゴールを2度記録し、絶対的な得点源となりました。
1986年W杯予選では7試合で5ゴールと決定力の高さを見せます。特に1985年3月21日北朝鮮戦では、20分に西村昭宏のロビングに反応し勝利に貢献しました。
その後アジア大会に臨み、バングラディシュ戦のハットトリックを含む5ゴールを挙げます。ソウル五輪予選ネパール戦では代表2度目のハットトリックを決めると、10月4日のアウェー中国戦でCKから得意のヘディングを決め、敵のサポーターを沈黙させました。
木村、金田、水沼、戸塚といった数多くの優れたチャンスメーカーの存在もあり、代表通算37ゴールを記録。釜本、カズ、岡崎に次いで歴代4位となっています。
代表記録 75試合37得点

余談
・解説を務めるときに頻出する「いい時間帯」をツイッターのアカウント名としています。
・2014年W杯を目指す新監督人事の一切を任されていましたが交渉が難航、2010年8月30日にイタリア人のザッケローニ監督に決まったものの、就労ビザの問題により直後の9月の2試合のみ日本代表を指揮しています。
2010年9月7日:新規アップ 2014年3月17日更新

98浦和レッズ
大柴健二 福永泰
ベギリスタイン 小野伸二
石井俊也 ペトロヴィッチ
城定信次 山田暢久
ザッペッラ 西野努
  田北雄気  

04FC東京(ナビスコ杯優勝)
 ルーカス 
 馬場憂太(ケリー) 
戸田光洋石川直宏
今野泰幸三浦文丈
金沢浄加地亮
茂庭照幸ジャーン
 土肥洋一 

10日本代表(9月4日パラグアイ戦)
 森本貴幸 
 本田圭佑 
香川真司松井大輔
細貝萌中村憲剛
長友佑都内田篤人
栗原勇蔵中澤佑二
 川島永嗣