マレク・ハムシク(Marek HAMSIK)
フルネーム マレク・ハムシク
国籍 スロヴァキア
出身地
生年月日 1987・7・27
身長 183cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2007・2・7
ポーランド戦
代表背番号 17
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル 07,08スロヴァキア年間最優秀若手選手
08セリエA年間最優秀若手選手
09,10スロヴァキア年間最優秀選手
チームタイトル 11/12,13/14コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 スロヴァン・ブラティスラヴァ
04/05 ブレッシャ(イタリア)
05/06 ブレッシャ(イタリア2部) 24
06/07 ブレッシャ(イタリア2部) 17 40 10
07/08 ナポリ(イタリア) 17 37
08/09 ナポリ(イタリア) 17 32
09/10 ナポリ(イタリア) 17 37 12
10/11 ナポリ(イタリア) 17 37 11 
11/12 ナポリ(イタリア) 17 37
12/13 ナポリ(イタリア) 17 38 11
13/14 ナポリ(イタリア) 17 28
14/15 ナポリ(イタリア) 17 35
15/16 ナポリ(イタリア) 17 38
16/17 ナポリ(イタリア) 17 38 12
17/18 ナポリ(イタリア) 17 38
18/19 ナポリ(イタリア) 17 13
19 大連一方(中国)    
戦術眼に両足を使える技術、豊かな創造力でのチャンスメークと得点力も兼備、豊富なスタミナと巧みなボール奪取で守備にも貢献する攻撃的MFです。
かつてチェコと同一国家だったスロヴァキア出身ということもあり、MFネドヴェドの再来と目され、自らも目標の選手に挙げています。

サッカー選手の父親とハンドボール選手の母親の元に生まれ、4歳からJ・ポドラヴィツェでサッカーを始めます。14歳の時、国内の名門S・ブラティスラヴァユースに移籍します。04/05シーズンにプロデビューしゴールを決めたものの、この1試合の出場に終わりました。
2004年、17歳の時にイタリアへ渡り、R・バッジョが引退した直後のブレッシャと5年契約を結びます。2005年3月20日キエーヴォ戦にて、元アンコーナのミロス・グラネク、元パルマのヴラティスラフ・グレスコに次いでスロヴァキア人として3人目のセリエAデビューを果たしました。しかしクラブは19位に終わりBに降格。これにより国内外のビッグクラブのスカウトが相次いで視察に訪れますが、チームに残留します。06/07シーズンは10ゴールを挙げました。
07/08シーズン、ミラノ勢やプレミアの強豪が獲得に乗り出しますが、移籍金約9億円でナポリと5年契約を結びます。守備的MFブラージの存在で積極的に攻撃に絡み、同時入団のFWラベッシ、サラジェタ、ソサらと共に活躍、ミラン、ローマ、ラツィオなどチーム最多の9ゴールを挙げて、昇格したクラブをUEFA杯に導きました。2年目は序盤からローマ、フィオレンティーナ、パレルモ、ユヴェントスからゴールを挙げると共に6アシストを決めました。
3年目も序盤から3連発を決め、ローマ勢に1ゴールずつ、ユヴェントス戦で2試合3ゴールを挙げるなど自己最高の成績を残し、ヨーロッパリーグ出場を果たしました。
過密日程の10/11シーズンもボローニャ戦の2ゴールなど2ケタゴールをマーク。新加入のカバーニをラベッシと背後で支え、彼らとの攻撃力でクラブ21季ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得します。翌シーズンの同大会ビジャレアル戦で初ゴールを挙げ、グループリーグ突破を決めた後、優勝するチェルシーを追い詰めました。国内カップでは5試合戦い、ユヴェントスとの決勝で追加点を挙げて自身初タイトルを獲得し、トレードマークのモヒカンをカットしました。
12/13シーズンは2年ぶりの2ケタゴールを達成し、アシストもセリエA最多の18と獅子奮迅の働きを見せ、カバーニと共にチームを2位に引き上げました。
13/14シーズンはカバーニが退団しましたが、開幕ボローニャ戦で2ゴールを決めます。しかしケガで精彩を欠き、新加入のイグアイン、メルテンス、カジェホンの陰に隠れました。翌シーズンはミラノ勢相手のゴールに加え、イグアインやカジェホンなどにリーグ最多タイの13アシストをマークしました。また、ビルバオの前にチャンピオンズ・リーグに進めなかったものの、ヨーロッパリーグでヴォルフスブルクとの準々決勝で2ゴールを挙げるなどベスト4になりました。
15/16シーズンはアタランタ戦から3連発し、トリノ戦で2アシストするなどチームで唯一全試合に先発しました。ヨーロッパリーグでは1stレグを落としたR32ビジャレアル戦でゴールを挙げるもドローに終わりました。翌シーズンはカリアリ戦で1ゴール3アシスト、ボローニャ戦でハットトリック、ユヴェントス戦の同点弾など4年ぶりの2ケタゴールを達成。チャンピオンズ・リーグでも敗れはするものの、優勝するR・マドリーとの両試合で決定機を演出しました。
17/18シーズンは半ばに3試合連続ゴールを見せます。特にサンプドリア戦とクロトーネ戦は決勝点となり、キャプテンとして勝負強さを見せました。
19シーズンに長年過ごしたイタリアを後にし、中国へ移籍しています。

ユースレベルではU-17とU-19の欧州選手権に出場。U-21時の2007年2月7日ポーランド戦でフル代表デビューし、2008年欧州選手権予選にも出場しました。
2010年W杯予選では8試合2ゴールで分離後初出場を果たすと、本大会でも4試合プレーしてベスト16に進出しました。2012年欧州選手権は10試合でノーゴールに終わりました。2014年W杯予選は早々と敗退しますが、ボスニア・Hに一矢報いました。
2016年欧州選手権予選は10試合で5ゴールとエースの役割を果たします。4試合プレーした本大会はロシア戦でヴァイスをアシストし、自らもゴールを決めました。
2018年W杯予選は10試合に出ますが、イングランド戦で連敗しました。
代表記録

※:バンスカ・ビストリツァ
2008年12月24日:新規アップ 2019年2月15日更新