トマシュ・ハイト(Tomasz HAJTO)
フルネーム トマシュ・ハイト
国籍 ポーランド  
出身地 クラコフ
生年月日 1971・10・16
身長 187cm
体重 81kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1996・8・27
キプロス戦
代表背番号
W杯メンバー 02年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 00/01,01/02DFBカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
90/91 フトニク・クラクフ
91/92 フトニク・クラクフ
92/93 フトニク・クラクフ 28
93/94 ゴールニク 21
94/95 ゴールニク 30
95/96 ゴールニク 25
96/97 ゴールニク 29
97/98 デュイスブルク(ドイツ) 5 25
98/99 デュイスブルク(ドイツ) 5 29
99/00 デュイスブルク(ドイツ) 5 26
00/01 シャルケ(ドイツ) 6 32
01/02 シャルケ(ドイツ) 6 24
02/03 シャルケ(ドイツ) 6 29
03/04 シャルケ(ドイツ) 6 19
04/05 ニュルンベルク(ドイツ) 4 17
05/06 サウサンプトン(イングランド2部) 20
05/06 ダービー(イングランド2部)
06/07 ウッチ 7 27
07/08 ゴールニク 7 25
08/09 ゴールニク 7 13
08/09 ウッチ 10
09/10 ウッチ(2部) 7 23
足元の技術やスピードは水準から劣りますが、空中戦に絶対の自信を持つ古典的なストッパーの典型です。敵陣深くでのロングスローでも相手の脅威となります。
カードを受けやすいプレースタイルですが、フェアプレーを身上としています。

14歳の時にハルニアクというクラブに入って本格的な練習を開始します。G・ジヴィエクを経て1991年に地元クラクフにあるフトニクで1部デビューを果たします。93/94シーズンから在籍したゴールニクでは守備陣の中心的存在として活躍し、デュイスブルクに移ります。
ここでもすぐに主軸に定着します。リーグ戦ではセットプレーなどで得点を挙げ、国内カップでは決勝にコマを進めました。2年目は警告16回とブンデスリーガの記録を作りますが、2年連続で一ケタ順位になりました。3年目に最下位で降格が決まり、シャルケに引き抜かれます。
代表の同僚ヴァルドフ、ベルギー代表V・ケルクホーフェンとの3バックでリーグ最少失点を達成し、司令塔メラー、FWサンド、E・ムペンザなどリーグ屈指の攻撃陣を背後から支え、前年に残留争いをしていたチームをバイエルンとリーグの覇権を争うまでに躍進させます。
その争いは最終節にもつれ、首位のバイエルンが負けて自チームが勝てば逆転優勝になる状況でした。ウィンターハヒンクに勝った後、バイエルン対ハンブルガーとの試合結果を待ちます。終了間際にバイエルンが先制され一時は歓喜に沸いたものの、その後バイエルンのP・アンデションがFKを決め、優勝を逃しました。01/02シーズンに初出場したチャンピオンズ・リーグはパナシナイコス、アーセナルなどの前に1次リーグを最下位で終えました。
ニュルンベルクを経て05/06シーズンにイングランドへ渡るも定位置を確保出来ませんでした。06/07シーズンに母国へ復帰し、2部でのプレーを最後に引退しました。

1996年8月27日のキプロス戦で代表デビュー。1998年W杯予選は8試合に出場しますが、イタリアとイングランドが同居し、組み合わせに恵まれませんでした。
2000年欧州選手権予選は8試合戦いブルガリアとの両試合で得点を挙げましたが、本大会行きはなりませんでした。2002年W杯予選では10試合戦い、ヴァルドフとのコンビで7試合戦い4大会ぶりの出場権を獲得、本大会でも2試合出ました。
2004年欧州選手権予選は8試合出ますが、スウェーデン戦でレッドを受けました。2006年W杯予選は10試合で8勝して出場権を得ますが、ケガで本大会を棒に振りました。
代表記録 61試合6得点

2017年11月28日:新規アップ